蘭ちゃんへ
こんにちは!
今年の夏も、昨年同様に夏らしいことはひとつもできずに終わりそうです。子どもたちの学校がはじまるのも不安だよね。
わたしは日頃から「新しいクセがつくのに2年かかる」と思っているのだけど、このコロナ禍の生活も2年経ってしまうと、緊急時の対応で一時的に心が動かないようにやりすごしていたのが、固定したクセにならないといいなと心配しています。
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さて、前回蘭ちゃんは日記を書くことが「誰かに話を聞いてもらう時間」になっていると教えてくれました。とてもいいですね。次回のカウンセリングまで、遮断するのではなくゆるくつながり続けているようで安心しそうです。
蘭ちゃんは「書く」能力があって、気持ちや考えをそのまま言葉にして書き出せるので、文章を読んでもらうことで「聞いてもらう」ができるんだね。
わたしも以前、雑談の仕事をはじめる前は、心の整理のために「書いてみたらいいんじゃない?」と提案していました。わたし自身がnoteで書き出してみたことが、考えの整理整頓になったり、外に出して見せることで友人ができたからです。でも、「言語化して書ける」というのは特殊能力で、誰もができるわけではないんですよね。もちろん能力の有無ではない「書けない」理由もいろいろあるようでしたが、「書く」はどうやらハードルが高いようだなと感じたのが、「直接話を聞く」をしようとしたきっかけでした。
日記といえば、わたしは日記を書くのが苦手で、なんでだろうと自身を観察していました。特に誰かが読む場所で書くことができないのだけど、それは、自分が何をしたとか、誰に会ったとか、どう感じたとかを、誰かに知ってほしいという思いがないからです。記録しておくとあとから読んだときに面白いのと知っているし、他人の日記を読むのはむしろ好きです。でも、自分のことはあまり見せたくないと思っているようです。
見せたくないことの上位にあるのは「感情」で、自分勝手で醜い感情や、汚い考えを人に見せるのは気が引けます。かといって、それを書かずにきれいな部分だけ書くのもウソだし、となると、書くことがないのです。人に見せたくないからといって、感情を出てこないように蓋をしたり、ないことにして無視するのはよくないとよくわかっています。なかなか出てこなかった時期を経て、今では自分の感情に向き合うことはできるようになってきましたが、「あるな」と認めて、おしまい。それが、今の感情との付き合い方です。
蘭ちゃんの日記のように、外に出し続けることで滞ることなく循環するという効能もあるし、観察日記のように、輪郭がはっきり見えて把握できるようになるという利点もあります。それをしたほうがいい時期はきっとあります。
ただ、今のわたしが望んでいるのは、自分に向き合うとか、自分を知るという目的ではないようです。