出番の少なくなった帯で眼鏡入れ作り。こんなことも立派なそして楽しい家事であります
これまで2回にわたり、家事をやめるための必須要件として、「便利をやめる」(連載3回)、「可能性を求めない」(連載4回)という、現代日本の常識に真っ向から反旗を翻す実に挑戦的な提案をしてきたわけだが、今回はいよいよ、そのトドメとも言える最後の原則を発表させていただく。
それは「家事の分担をやめましょう」ということだ。
はい。これも「え?」と思われること間違いなしでありましょう。
分担。家事効率化の常識ですよね。というより、もはや「前提」といったほうがいいかもしれない。例えば洗濯をするとき、お父さんとお母さんと子供の3人家族だとして、その中の誰かが3人分の洗濯をするのが現代では当たり前である。問題になるとすれば「誰が」という部分であって、「誰かが」やることそのものに疑問が挟まれることなどまずないだろう。そりゃそうだ。物事を効率的にやろうと思えば「まとめて一気にやること」である。靴下や下着やTシャツを一つずつちまちま洗う人なんて、よほどのコダワリの洗濯マニアかなにかであろう。全員分の洗濯物をまとめて一気に洗濯機に放り込む方が、どう考えても普通だ。
で、私はそこにまさかにダメ出しをしようというのであります。
各々が手で洗うのが合理的
お父さんも、お母さんも、子供も、自分のものはそれぞれ自分でちまちま洗おうと言いたいのだ。しかも「便利をやめる」の原則に沿うならば、できれば洗濯機でなく手で洗おうと主張したい。念のため釘を刺しておくと、これは何かの修行でも根性論でも道徳論でもなく、その方が圧倒的に家事がラクになりますヨという親切なご提案である。極めて合理的な選択肢として、このことを強くお勧めしたいのだ。
無論、なんで? ということになろうと思いますので、以下、ちゃんと説明させていただきます。