01. 怒られた日の夜に読みたい本
『夏が僕を抱く』
豊島ミホ ( 祥伝社文庫、二〇一二年)
効く一言
私は普段、居間で晩酌するお父さんの横で宿題をやるけれど、そういうのは絶対「いい子文化」の行為だ。
いい子でなんかいたくないけど、怒られたらがっつり傷ついてしまう。
……というのが日本でもっとも多い気質だと思うんですがいかがでしょうかそれは。
私は一九九四年生まれゆとり世代ど真ん中! 小学三年生から完全週休二日制になりました! そんなのほほん平成生まれなので、もう、怒られたくないですね……。
でも怒られたときってたいてい自分が悪い。もちろん上の人の機嫌がよろしくないから怒られた、ってときもあるんですが、まあほとんどは自分が悪いのは分かってるときに怒られるんですよね。へ、へこむ。でも怒られた日、家に帰ってからできることなんて正直ほとんどない。怒られた次の日に元気に職場や学校へ行くことが唯一のつとめ。というわけで、怒られた日は、できるだけ怒られたことを忘れてぐっすり寝ましょう。
……といっても忘れられないよー! 怒られたことが脳内にこびりついてるよー!
という方もいるでしょう。分かる。私もそういうタイプ。脳内で自分が怒られたときの台詞(せりふ)を反芻しちゃうタイプ。リピートしっぱなし。
だから私は、自分の好きな音楽をできるだけ大きな音で聞いて、できるだけ自分の境遇とかぶらない小説や漫画を読んで(没頭できる物語ならなおよし)、寝ます。そういうときは。
しかし自分の境遇とかぶらない小説や漫画って分からないよ~と思う方もいるかもなで、私が最近へこんだときに読む小説をご紹介しましょう……。
毬男(まりお)が不良になるんなら私だってなるしかない。
と決めたのは、昼休みにトイレに行く途中で、A組の前に仲間とたむろっている毬男を見た時だった。(『夏が僕を抱く』)
……という書き出しで始まる小説が、豊島ミホさんの短編小説集『夏が僕を抱く』なんですけど。どれも幼なじみの男女が出てくる、中高生から二〇代前半までの主人公たちの物語。ちなみに文庫本の解説で綿矢りささんは「欲しいなあ、幼なじみ」って言ってますね。わかる。この本を読むと幼なじみが欲しくなる。
って言っても、べつに漫画『タッチ』みたいな話が載ってるわけでもなく。ハッピーエンドなんだかわからない、みんな潔いのに迷っている男子と女子の話たち。
個人的な話をすると(ってここまで個人的な話しかしてないんですけどね)、この本を読むと、いつもどっかで泣けてきちゃうんですよね、私。なんか人が死ぬとか展開がかなしいとかそういうことは全くない話ばかりなんですけど。
なんでこの小説をへこんだときに読むかって、しめった匂いとか重苦しい曇り空とか相手のことがよくわからないまま進む会話とかそうはいっても欲望のままに突き進む女の子たちとかそれに戸惑いつつかわすしかない苦笑ばかりしている男の子たちとか、「今の自分には絶対ないんだけど、昔どっかで感じていたはずの風景」みたいなものをまざまざと目の前に出してくれるからなんですよ。この風景知ってる、この感情覚えてる、でもほんとにそんなのあったのかどうか確かじゃない、って。
考えたって絶対これという解答は出ないのだけれど、一応の推測として、研吾くんが言ったのは「場当たり的なセックスなんかしないぞ」ということだと思われた。見合いで始まった仲だから──結婚を前提にお付き合いしているのだから、けだものみたいにラブホになだれ込んでやっちゃったりするつもりはない。するんだったら、しかるべきホテルに予約を入れるべきだ。多分、そういう考え方なのだろう。
「しんじられん」
灯りの消えた階段をずるずるのぼりながら、わたしは独り言を漏らしていた。今になって酔いがまわってきたらしい。足がもつれそうで、手すりにつかまらないとうまく進めない。
──世の中そういう考えの人もいるかもしんないけどさあ、それって「ヤるために会う」ってことじゃん? いやわたしと大道さんだって、ばりばりヤるために会ってたわけだけど、なんかそういうことじゃなくて、それと別で、どっかおかしいよソレ。ああ、でもなにがおかしいのか説明できない……。(同書)
ああこういう感情、昔はもってた、もってた。って、思い出す。すこしばかりのノスタルジー。
へこんだときになんでノスタルジーにひたりたいんじゃお前は、と言われそうですが。でもね、考えてみてくださいよ。自分をちゃんとなぐさめてくれる感情なんて、懐かしさしかなくないですか? 懐かしさや既視感、それから切なさだけが私にやさしい。ものすごく雑な言葉で言ってしまえば「繊細」さだけが、私をなぐさめてくれる、みたいな。
でもこんなこと言うと誤解されそうでちょっといやなんですが、繊細さは、かならずしもナイーブであることと同義じゃない、と私は思うんですよね。いやお前「繊細」の英訳「ナイーブ」やろ!と自分でツッコむ。でもちがうじゃんー!
ナイーブってのは、やさしさが内側、つまり自分に向いてるんですよ。自分の感情や痛みに敏感で、それゆえに世界に対してももっと敏感になってほしい、って思ってる。
でも豊島ミホさんが『夏が僕を抱く』で描く繊細さは、やさしさがちゃんと外側、つまりは他人に向いている。
でも一時間目の休み時間、岬が弁当抱えて入ってきて(保健の先生と仲良しで、いつも保健室で早弁させてもらってたらしい)、弁当箱のご飯をあっという間に半分平らげると、なんでもないふうにあたしに言ったのだ。
──ほら、行くぞ有里。
岬のくせに、なに命令してんの? むかつくんだけど! とか文句たれながらもあたしは、岬の二メートル後ろを歩いて教室の前まで行き、するっとドアをくぐってしまった。(同書)
こんなふうに、なにも言わないやさしさが、描かれる。
でも、だれかのことをやさしく、大切に思うほど、繊細に敏感に相手の挙動を感じとって、だからこそ「なんでそっちに行くの !! 」みたいな妄想あるいは暴挙に出ちゃったりもするんですけど(余談ですが、なんでみんな、思春期の頃っていらん方向に妄想たくましく、行動力はあるのに「そっちじゃない !! 」とハラハラするよーな場所に使うんでしょうね……。『夏が僕を抱く』を読んでると、自分が思春期だった頃の感情をまるっと呼び出せるんですけど、それにしたってなんであんなにぐるぐるしてたんだろって思いますねほんと……余談でした)。
たまに小説を読んでいると、現実世界ではそんなんじゃ生きてけないはずの登場人物のナイーブさにイラっとくるときがあるんですが(私だけ?)。『夏が僕を抱く』には、まったくそれを感じない。だけどやさしい。やさしいだけじゃないのに、繊細に、人のことを考える。だから癒される……というか、へこんだときに読みたくなるんだと思います。小説だけが私にやさしい! と泣きそうになる。
いや、何度も言うけど、やさしいだけの場面なんて、なかなか出てこないんだけど。
小説には、というか『夏が僕を抱く』には、会社にいるときには思い出さない無数の感情がさらっと描かれる。たとえば、たぶん望めばずっとここにいられるけどでもこのまま甘えられないんだよなって諦めることとか、今は一瞬の意地で決意したけどそれはたぶん一年後には守れていない意地なんだろうなってうっすら分かることとか、幻想をずうっと見てたかった相手がやっぱりそんなの見せ続けてくれないんだって知ってることとか。ぜんぶ、大昔に感じたけど、ああやっぱりそんなの一瞬のことだよなって忘れようとしてた感情が、小説のなかで雨みたいに降ってくる。
だから私はこの小説を家で読んで、ちょっと窓の外の現実のことを忘れて、それから眠って、また明日現実に返ってゆく。いい子に戻ろうって、思う。
~処方~
怒られた日は、とにかくそのことをできるだけ脳から消去して、好きな音楽をいつもよりも音量大きめで聞いて、ぜんぜん自分と違う境遇かつちょっと毒っけのある小説を読んで、そんで眠るのが一番だと私は思います。やけ酒とかやけ食いよりも健康にいいし。おすすめです。
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