2021年公開の映画『ノマドランド(Nomadland)』は4月のアカデミー賞で作品賞を受賞し、中国で生まれた女性監督のクロエ・ジャオは有色人種の女性として初めて監督賞を受賞した。主演女優賞を受賞したフランシス・マクドーマンドはプロデューサーでもあり、多くの意味で話題になっている作品だ。
新型コロナのパンデミックで旅行や演劇鑑賞などができなくなってから、私たち夫婦は金曜日の夜に一緒に映画やネットフリックスを鑑賞することにしている。夫が映画『ノマドランド』をその候補に挙げたとき、私は「この映画の原作を読んでからにしましょう」と提案した。
原作のNomadland: Surviving America in the Twenty-First Century (邦訳版は『ノマド:漂流する高齢労働者たち』)は、2017年に刊行されたノンフィクションで、読みたいと思っていたのに読みそびれていた。だから、私にとってもちょうどよい機会だった。
バンで生活し、仕事を求めてアメリカ中を渡り歩く高齢者を描いたノンフィクション
作者のジェシカ・ブルーダーはニューヨーク・タイムズ紙などに記事を掲載してきたジャーナリストで、コロンビア大学で文章創作も教えている。ブルーダーは2007年から始まった金融危機(リーマンショック)で財産や住む家を失った高齢者たちがvan(ワゴン車)に住み、職を求めて移動するノマドの現象に注目した。この現象を取材するために、ブルーダーは中古のvanを購入し、ノマドたちと一緒にメキシコとの国境近くからカナダの国境近くまで移動した。この取材には3年の年月がかかったという。
移動する高齢労働者たち(ノマド)の世界に若いブルーダーを紹介した案内人は当時65歳のリンダ・メイだ。リンダはブルーダーにvanに名前をつけるのも重要だと教える。リンダのvanの名前はSqueeze Innで「there’s room, squeeze in!(詰めれば大丈夫だから、中に入って)」と宿のinnをかけたものだ。そこでブルーダーは自分のvanをVan Halen(ヴァン・ヘイレン)と命名し、3年間で1万5千マイル(約2万4千キロメートル)を移動することになった。
リンダは自分のことを「ハウスレスだけれどホームレスではない」と言う。これは、ノマドたちにとって重要なアイデンティティだ。アメリカでの「ホームレス」にはアルコール依存症、薬物依存症、無職といったネガティブなイメージがつきまとう。ノマドの高齢者には家はないがvanという「ホーム」はある。家を持たずにvanで移動するのは自分の生き方の選択なのだというプライドを示すアイデンティティなのだ。「ハウスレス」のノマドたちは、信じられないほどの重労働をこなす働き者たちばかりだが、そこにも彼らのプライドを感じる。
リンダも2人の娘を生んで育てながら休みなく働いてきた女性である。けれども、共同経営していた床材店のパートナーに裏切られたりする多くの不運が重なり、娘家族が借りている家で居候するまで経済的に追い詰められていた。混んだ家で自分の居場所がない状況に閉塞感を覚え、vanで暮らすことを決意したのだった。ネットで同じような状況の人から情報を得たリンダは、仕事を求めてアメリカ中を渡り歩く高齢の季節労働者である「ノマド」になった。国立公園がオープンする時期になったら管理人としてキャンプ場利用者が汚したトイレを1日3回掃除し、クリスマス前には注文が忙しくなるアマゾンが作った臨時雇用プログラムの「CamperForce」で長時間労働をする。
「君が言うとおりに、本を読んでから映画を観てよかった」と夫が言ったのは、映画を観ただけでは理解できないことが数多くあるからだ。
映画には出てこないアメリカ社会の現実
映画だけだと「自由でシンプルな生き方の選択」というポジティブな印象を受ける人もいるようだ。アメリカでは、キャンピングカーのブームが到来しており、若い層で家を捨ててキャンピングカーで暮らす人が増えている。私たち夫婦が所有する四輪駆動のキャンピングカーには同じ車を持つ者が情報交換をするフェイスブック・グループがある。ここのメンバーの中には、家を売ってキャンピングカーを購入し、自宅とオフィス兼用にして旅を続けているプロの写真家やIT専門家もいる。ネットさえ繋がれば、どこでも仕事ができるからだ。高額のキャンピングカーを購入した彼らの場合は「自由でシンプルな生き方の選択」と言えるだろう。だが、高齢者のノマドは経済的にそんな余裕がある人はほとんどいない。少ない選択肢の中で苦難した結果のノマドなのだ。