最終回】人はしあわせになるために生きている

「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」は今回を持って最終回となります。幡野広志さんがこの連載を通して感じたことや、連載を続けてきた理由、相談者さんへの想いをつづります。

たくさん届いた相談の中からどれを選ぼうかと考えたけど、最終回に選ばれてしまった人もちょっと気まずいだろうし、最終回は相談に答えないで、この連載を通して感じたことを書いてみたい。

これまでに累計で6000件ぐらいの悩み相談が送られてきた。年齢層はバラバラだけど、20代から40代が中央値で9割以上が女性だった。ペンネームは餅にちなんだものが多かった。「もちこ」とかだ。おかげでスーパーで餅を見かけると、なんで人は悩むと餅になるのかと考えてしまう。人気のペンネームなのかもしれないけど、これは本当に謎だった。なぜかもちこ。

相手の顔がわからず、文字でやりとりをするだけの人生相談だから、これまで続けることができた。これが対面だったり直筆の手紙だったりしたら、ぼくは心が弱いタイプなので、きっと心を病んでいただろう。

そもそも誰かに人生相談をするのは勇気が必要だし、リスクも伴っている。相談をした相手がペラペラと秘密を暴露してしまうかもしれないし、無理難題のような答えを押し付けてくる可能性だってある。そして相談をされた側の心理的な負担もよくわかっているつもりだ。

ぼくは悩むことがほとんどない。困ったことがあってもそれは解決すべきトラブルなだけで、合理的な解決を目指してしまう。そして解決ができないことはサラッと諦める。この連載を開始してから、ぼくは誰かに相談するということが完全になくなった。すこし皮肉な話だ。自分の中で人格を2つに分けて、他人の人格になった自分に相談をして答えてもらっている。

大きな声でブツブツとセルフ人生相談をしているので、仕事から帰宅した妻には自宅で取材を受けていると勘違いされたことがあるほどだ。なんかすでに病んでいる感じもするけど、いまのところこれで上手くいっている。

人は自分のことは悩んでしまっても、他人の悩みにはいとも簡単に答えを出せるものだ。自分の悩みは大事であっても、他人の悩みは他人事だからだ。別に悪いことじゃない、親身になって誰かの悩みを自分事にしてしまう方が、沼にハマって共倒れする危険がある。一線を引くというのは必要だ。

恋愛ドラマの最終回の翌週に、別の俳優さんで新しい恋愛ドラマが始まるように、一つの相談に答えると、似たような相談がたくさん届く。こちらからすればさっき似たような相談に答えたんだから、それを参考にしてくれないかとおもってしまうのだけど、やはり悩む人は自分のことだから大事で、答えるぼくは他人事なんだろう。

この連載を書籍化した2冊目の本のタイトルを『なんで僕に聞くんだろう。セカンドシーズン』にしないで『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。』にしたのは悩みの真理めいたものに気づいたからだ。それにセカンドシーズンはダサすぎる。

どんな状況に陥ろうとぼくは自分の悩みを他人事にしている、そりゃ解決できる。でも誰かに相談することを否定しているわけでなく、悩んだら相手を選んで相談した方がいい。そして悩まないに越したことはない。

たくさんの相談に目を通したわけだけど、写真やカメラの相談なんて10件ぐらいしかなかった。芸能人やアスリートやインフルエンサーの方から相談が届くこともあった。

きっと不安でどうしても答えてほしかったのだろう。おなじ相談を何十通も送ってくる人もいた。悩みを書いたことですっきりとして相談をキャンセルする人もいた。

表面的にはいろんな相談があったけど、本質的には人の悩みはどれもとても似ている。人の悩みは全て人間関係だ。これはもう結論づけていいぐらいだ。

でも人間関係が悩みの根本の原因ではない。それよりも人の目を気にしていることが引き金となって、悩みの弾丸が銃口から飛び出ている。お金のことや仕事のこと、将来の夢など一見すると人間関係ではないように感じる悩みも、本質的には人間関係の悩みであり、誰かの目を気にしていることが原因だ。

子育てをしていると頻繁に感じることだけど、自分の子どもとよその子どもを比べてる人がたくさんいる。〇〇ちゃんは立つのが早い、喋るのが早い、おむつがとれるのが早い。保育園でそんな話題になるとグヘェとなる。

これが小学生になればテストの点数、大学生になれば学歴や就職先、社会人になれば結婚や出産、家庭を持てば配偶者や子どものこと、どこかの誰かと比べる人はどこまでも比べていく。

比べられる環境で育てられて、人と比べる社会で生きているのだから、そりゃ誰だって人の目を気にする大人になるし、自分が誰かと誰かを比べる側になっても不思議じゃない。

人は誰かの目を気にしていることが引き金になり、人間関係で悩んでしまう。なんでそんなことになっているかといえば、ちいさな時から人と比べられることが原因のような気がする。

経済的に豊かになるための競争社会を否定するつもりはないのだけど、競争させるために不安感を煽るのは間違いだろう。

自分の子どもとよその子どもを比べても、子どもにとっては負担になる。子どもに必要なのは不安感ではなく安心感だ。だからぼくは自分の息子のことを、ほかの子どもとは比べない。一年前と現在を比べてあげれば、成長がよくわかる。それで肯定をしている。

大人だって誰かの目を気にして、誰かの人生と自分の人生を比べることはしない方がいい。ウサイン・ボルトと自分を比べても意味がない。自分がされて嫌なことを、わざわざ自分で自分にすることはない。大人になっても一年前と現在を比べて、自分で肯定してあげればいい。大人にも安心感が必要なのだ。

強者の意見なのか弱者の意見なのかよくわからんけど、ぼくは癌になっても自分のことを肯定している。自分のことが好きだ。

「なんで人は生きるんですか?」ってことを聞かれれば、ぼくは「しあわせになるために生きてる」って答える。しあわせになった方がいいとかじゃなくて、しあわせになるべきだとおもってる。

でもしあわせの価値観は人それぞれだ。家庭をもつことがしあわせな人もいれば、独身がしあわせな人もいる。表舞台にでたい人も、裏方にいたい人もいる。孤独を恐れる人も、孤独に美しさを感じる人もいる。簡単にいえば好きなものが人それぞれ違う。好きな料理だって違うんだから当然だ。

誰かのしあわせ価値観を押し付けられると不幸がはじまる。それを防ぐには自分のしあわせの価値観を見つけることだ。人の目を気にせず、自分のしあわせを人に委託しないで、自分のしあわせを大切にするべきだ。

そして自分のしあわせの価値観を持たない人を不幸だと決めつけないほうがいい。自分のしあわせの価値観で相手を侵略しないほうがいい。しあわせの価値観というのは、盾にも矛にもなる。

うさんくさいのは承知の上だけど、それぞれのしあわせの価値観でみんなしあわせになってほしい。最終回に「大変ですね、専門機関に相談してね」という結論ありきの話を薄く延ばしたような記事を書くよりも、うさんくさいけどこっちのほうがいいだろう。

この連載を続けていた一つの理由がある。原稿料だとか書籍の印税だとか夢があふれる話じゃない。相談に答えた後に送られてくる、相談者さんからのメッセージが原動力となって続けていた。

6〜7割ぐらいの確率で相談者さんからメッセージが届いた。記事が公開された当日に届くこともあれば、一年ぐらいたって届くこともある。写真展会場にいるときに高速バスを使って、直接お礼を伝えにきてくれた高校生の相談者さんもいた。

イベントで地方に行って書籍にサインをしているときに「いま生きているのは幡野さんのおかげです」といわれた。自殺をしたいと相談をしてきた相談者さんだった。旅にいきたいけど親が反対しているという相談者さんは、旅先でのたのしい話をいくつも送ってくれた。旅にはカメラがあるとよりたのしくなるので、使っていない一眼レフカメラを送った。

統合失調症で社会の偏見に悩んでいる相談者さんとは、おなじ市内に住んでいることもあってスタバでフラペチーノを一緒に飲んだ。ぼくとお茶をするのが将来の夢だという相談者さんには、愛媛で焼肉をご馳走した。ヒマな病人だからこそできる術だ。

相談のあとに結婚をした人も、ちいさなお子さんを抱えて離婚をした人もいる。結婚をした人はパートナーと、離婚をした人はちいさなお子さんと一緒の笑顔の写真を送ってくれた。人は悩んでも、選択をして行動をした先にしあわせになるのだと感じた。

公開されることのない、ぼくだけが知っている相談者さんのその後がたくさんある。

自分の相談がこの連載に掲載されると、相談者さんは心臓が止まりそうなぐらい驚くそうだ。呼吸が荒くなり汗も出て、とにかく焦るらしい。いきなり本題に入らずに、おもしろくもない話で文字数を増やしていたのは、少しでも相談者さんの緊張をほぐしたかったからだ。

相談者さんからのメッセージを読むときは、こちらも心臓が止まりそうなぐらい緊張をする。うれしくなることも、胸が張り裂けそうになることもある。読んだ後はだいたい鼻水がズルズルになるほど泣いている。

相談者さんからはどうしても感謝をいわれてしまうけど、ぼくはあくまで相談に答えただけだ。悩んで足が止まっても、また歩き出したのは相談者さんだ。相談者さんが頑張った結果だ。すこし心配になりつつも相談者さんのしあわせを願い、応援をしている。

ぼくからすれば一般的な写真家の人生では経験できないことをさせてもらえた。病人になっていわゆる「生産性の無さ」に苦しめられてきたのだけど、相談者さんからのお礼ですこしでも役に立てた実感を得ることができた。

最終回らしく感謝の言葉をいいたいのだけど、相談者さんたち本当にありがとう。そして読者の方々にはこういう形で終わることの申し訳なさがあり、謝ろうか感謝を伝えようか随分と悩んだ。

相談者さんたちってSNSで拡散される、読者の方々の応援や励ましのコメントで勇気をもらっていたんですよ。ぼく自身も勇気をもらっていました。だから、本当にありがとうございました。またどこかで。

今週の幡野さん

ネコのぬいぐるみをプレゼントされました。
宝物がひとつふえました、ありがとう!!

この連載について

初回を読む
幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。

幡野広志

写真家・幡野広志さんは、2017年に多発性骨髄腫という血液のガンを発症し、医師からあと3年の余命を宣告されました。その話を書いたブログは大きな反響を呼び、たくさんの応援の声が集まりました。想定外だったのは、なぜか一緒に人生相談もたくさ...もっと読む

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コメント

lints_ ちょっと前、TLに回ってきたのを読んだ。『リアルに存在する』相談者との『良好な関係』を『炎上後の』『最終回に選んだ』その意図に気づけない人だから、相談相手に選んではいけないんだと納得しました https://t.co/d46ojtZDKa 3日前 replyretweetfavorite

kivavava 知らん間に最終回になってた 11日前 replyretweetfavorite

dske1124 悩みの原因になる比較対象は、他人だけじゃない。勝手に自分で想像してた、1年後のイケてる自分とかもそう。 12日前 replyretweetfavorite