お金は使わない限り、活きてこない
僕の通っていた福岡の小学校では、親戚からもらったお年玉を郵便貯金するように教えられていた。40年近く昔の話だ。
新学期、生徒たちは茶封筒にお年玉を入れ、講堂に集められた。講堂には郵便局員が来ており、そこで口座をつくって、お年玉を貯金する手続きをさせられた。先生から貯金したいかどうか、意思確認をされた記憶はない。みんな黙って従っていたけれど、本心はどうだったんだろう。僕は「なんで郵便局に貯金しないといけないの?」と、不思議でならなかった。せっかくもらったお年玉を、なかば没収されるような形で、貯金することになってしまった。少しもありがたくない。
学校の先生も、両親も、世間の大人は「貯金は大事です」と言う。それは、大間違いだ。少なくとも人生にとって、大事な行為ではない。
貯金が趣味だったり、何らかの目的があって貯めているのはいいと思う。でも、使い道がないのに預金通帳にお金を余らせ続けるのは、本当にバカバカしいことだ。
郵便貯金は第二次世界大戦中、戦費調達のキャンペーンから全国に普及したものだ。戦争がなくなった現在は、国債を償却するために、国民から預けられたお金を勝手に運用している。詐欺とまでは言わないが、そんな「横取り」を普通にやっている機関に、せっかくのお年玉を吸い取られてしまった。あの悔しさと疑問は、大人になってからも、ずっと頭の隅に引っかかっていた。
多くの著書で説いているが、銀行などの金融機関に預けているお金は、単なる債権だ。貯金は、いざというときのための資金だというけれど、通帳の金額が多ければ多いほど、それだけ銀行に対して、債権を背負っているのと同じなのだ。
貯金は生活の安心につながると、大人は言うかもしれない。しかしその金額ぶん、債権者としての負担を増やしているのだ。返してもらわないといけないお金を増やして、手元に使えるお金を減らす。それが、なぜ安心なのだろう?
僕の言い分は、極論すぎるかもしれない。しかし批判されようと、言い続ける。
貯金が美徳というのは、間違っている!
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