今、全人類が有名人になれるチャンスが転がっている。
Twitter、YouTube、Instagramを筆頭にインターネットで自己主張できるアプリやアイテムが満載だからだ。今日の凡人が明日の有名人、超人になり得る時代、何気ないつぶやきや画像で注目され、ファンができ、人生が変わっていく。
自分の書いた記事が拡散されて
私自身はといえば、以前、私が書いたブックレビューとそれにまつわる体験記事が拡散されたことがあった。もともと掲載された女性向けWEBサイトで評判がよかったらしく、あちこちのニュースサイトへ派生した。その功績のおかげか、著者の出版記念パーティーに招待され、よくわからない人達があつまる中、わけもわからず壇上に上げられ、著者に「森さんが記事を書くと何千、何万人もの人に読まれるのです。おかげさまで何千、何万の人が私の本を買ってくれました」と持ち上げられる始末。
後日、よくわからない人達からメールをいただき、わけもわからず仕事を依頼された。内容を確認した上ですべてお断りしたのだが、私にコンタクトを取ってきた人達は私=何千、何万の人が本を買ってくれる記事を書く人、と認識しているにすぎない。森美樹が何たるかなんて、どうでもいいのだ。「私、本当は小説家なんですよ。何千、何万の人が本を買ってくれる記事を書いたのはごくたまたまで、何千、何万の人に本を読まれたいのは私のほうなんですよ」なんて、よくわからない人達にうったえてもしかたがないのだ。
たくさん仕事が舞い込み、たくさんの人に誉めそやされるなんて、本来とても気持ちがいいはずなのに、裏腹に私は虚しくなった。本体の私を無視して、得体のしれない黒い雲みたいな群衆が偽りの私を作り上げる。たった一度、記事が拡散されて祭り上げられただけの私ですら、得も言われぬ孤独感に苛まれた。私が書いた記事であって、決して私そのものではない。とはいえ私が書いたのだから、私の一部でもある。そんなもどかしい軋轢に苦しんだ。
高校時代に出会ったK美
これは仕事だけではなく、人間関係にもあてはまる。話は私の高校時代にさかのぼるが、埼玉の田舎の高校出身の私はとにかく東京に憧れていた。今はくすぶっているけれど、都会に行ったら輝けるに違いないと、闇雲に東京を夢見ていた。私みたいなタイプが隣のクラスにもいて、私と彼女(以下K美)は自然となかよくなった。K美は細身で長身、体型こそめぐまれていたが、モテるタイプではなかった。とはいえ、すらりとした手足は魅力的で、本人もコンプレックスなどかけらもないように見えた。いつも笑顔をたやさず、私と一緒にファッション誌をめくりながらアイテムの品定めをする。周囲から浮いていても、K美と私は一向にかまわなかった。
一度だけK美の家に泊まりに行ったことがある。私の家よりもさらに田舎に位置し、畑に囲まれた一軒家で、3世代の家族が暮らしていた。朝食のトーストが新聞広告にのせられていて正直私は面食らったのだが、K美のおばあちゃんがサーブしてくれたので、なんとか平静をよそおった。畑仕事で焼けた肌と曲がった腰をして、せっせと私をもてなしてくれたおばあちゃん。新聞広告はお皿なのだ、と自分に言い聞かせて、私はおばあちゃんの好意を受け取った。K美はお客さんである私に、相変わらず屈託のない笑顔を向けていた。