六
憲政本党の総裁として、いまだ政界に大きな影響を持つ大隈だが、首相を辞任してからは政治の中枢からは外れていた。
足の痛みも慢性化してきており、大隈は早稲田の自邸に引き籠もることが多くなっていた。だがその間も、国際情勢は大きく動いていく。
——アジアを欧米諸国の食い物にさせてなるものか。
大隈の視点は、すでに日本からアジア諸国に向いていた。
明治三十五年(一九〇二)一月に日英同盟を締結し、日本政府は「イギリスと手を組んでロシアに対抗する」という外交方針を固めた。しかも四月に締結された露清条約によって、ロシア軍の満州からの撤退が決まった。
ところがロシアは全軍の撤退をせず、逆にじわじわと韓国に軍を進めてきた。これに怒った山縣らは主戦論を唱えたが、大隈は一貫して日露開戦を戒めた。
明治三十六年(一九〇三)になると、「開戦やむなし」の声が高まり、政府内も開戦論が幅を利かすようになった。大隈は新聞などの論説で開戦反対を唱えたが、それに賛同するのは、後に総理大臣になる原敬くらいで、もはや戦争は止めようがなくなっていた。
明治三十七年(一九〇四)四月、日本海軍が旅順港外のロシア艦隊を攻撃し、日露戦争が始まった。そして明治三十八年(一九〇五)の奉天会戦と日本海海戦で勝利をおさめ、日本は大国ロシアに勝った。
これにより日本国内は沸きに沸いた。しかし大隈は早稲田清韓教会での演説で、こう語っている。
「日露戦争は日本が勝った。これは日本が封建専制の愚を覚り、憲法を定めて自由を尊んだからであり、その逆にロシアは旧態依然とした体制のまま近代戦を行った。いわば近代の不適格者だったからだ。この勝利によって日本はロシアに対し、満州の利権をすべて放棄させるべく働き掛けることができるようになった。だがロシアに代わり、満州を日本が占領するようなことがあってはならない。満州を丸ごと清国に返還すべきであろう。ただし日本も数万人の血と莫大な戦費を費やしたので、何も得るものがないでは、世論が収まらない。それゆえ返還には、あまたの条件を付けるべきだろう。ただし——」
大隈が語気を強める。
「日本は私利私欲で動いてはならない。世界の公利のために清国に平和をもたらすことで、世界最大の市場に清国を育て上げるのだ」
ここでも大隈は、清国が成長するまで列強で清国を指導し、経済的に自立させていくという「清国保全論」を唱えた。
もちろん大隈は博愛主義者ではない。ただ列強で清国を分け合うよりも、清国を一人前の国に育て上げる方が、中長期的には、日本にとっても列強にとっても得るものが大きいと言いたいのだ。
明治四十年(一九〇七)、大隈は七十一歳になった。仕事量が減った大隈は欧米巡遊の機会をうかがっていた。欧米の実情を視察し、それを演説したり、書き残したりすることで、後進の役立てようとしたのだ。しかし自身の巡遊資金はなく、またスポンサーも付かず、この計画は頓挫する。海外巡遊といっても大隈一人が行くのではなく、秘書的な立場の人間や医師や看護師まで連れていかねばならないので、大所帯となるからだ。
またこの年、大隈は憲政本党の党首を辞任している。その根本的理由は、憲政本党が山縣ら藩閥に接近し、政権奪取を行おうという方針を打ち出したからだ。
大隈は一貫して藩閥との対決姿勢を崩さない上、憲政本党の改革派が大隈の「軍備拡張反対論」を真っ向から否定したため全面対決に至り、大隈は「それなら辞める」となったのだ。
だが大隈は党首の座を降りたとはいえ、政界から身を引くつもりはなかった。新聞を中心としたメディアに対し、「今後の国際関係はこうあるべし」「日露戦後の外債償還をどうするか」「増税を避けて日本経済の回復を待つには」といったコメントを出し、また活発に演説も行った。
そうした中、明治四十二年(一九〇九)九月、伊藤が早稲田の大隈邸にやってきた。
久しぶりの伊藤の訪問に喜んだ大隈は、自慢の温室に案内した。
明治三十四年三月に半焼した大隈の早稲田邸は、資金不足などで滞ったものの、翌年には竣工した。温室はそれ以前からあったが、延焼を免れていた。
「これは見事な温室ですね」
「贅沢な趣味だが、こればかりはやめられん」
温室の維持費は馬鹿にならない。
「いいじゃないですか。それにしても、いつから園芸がお好きになったのですか」
「最初は盆栽だったが、外国人の家に行った時、温室を見てから、どうしてもほしくなってね。それで温室で花を育て始めたら、愛しくて仕方がなくなったんだ」
二人は薔薇、菊、蘭といった花々が咲き乱れる温室内を散歩した。大隈邸の温室は中央、南室、北室の三棟に分かれており、南室の隅に据えられたボイラーから、温水をパイプによって各室に送っていた。そのため内部は真冬でも暖かい。
「いいご趣味だ。私なんか楽しみは酒だけですよ」
「ははは、酒と女でしょう」
伊藤の女好きは、つとに有名だ。
「これは参りましたね。私も年だ。そろそろ大隈さんのように没頭できる趣味を見つけて、のんびりと老後を過ごしたいものです」
伊藤は大隈より三つ若いので六十八になる。
「運動と娯楽こそ人生の大切な要素だ。書画骨董や刀剣の収集もよし、囲碁を打ったり将棋を指したりするもよし、茶の湯を点てるのもよし。でも老人に酒色だけはいけない」
「大隈さんには参りましたな」
ひとしきり笑うと、伊藤が問うた。
「大隈さんは、薔薇を好むと聞きました」
「そうなんだ。薔薇は豪華だからね」
ちょうど温室周遊も終わりに近づき、薔薇の咲き乱れる南室に到着した。そこには紅白の薔薇の花が咲き乱れていた。
「それにしても美しいものですね」
「それぞれに名がついているんだ」
「えっ、どんな——」
大隈が一つひとつの薔薇を指差しながら、この頃、東京で有名な芸妓の名を言った。
「何と薔薇に芸妓の名を付けているんですか」
「うむ。あの白くて大きいのが、伊藤さんのお気に入りの柳橋の——」
「やめて下さい」
二人が若い頃のように笑う。
やがて机と椅子が並べてある場所に着くと、大隈が「どうぞ」と言って伊藤を座らせた。
先ほどから後方を歩いていた給仕たちが手慣れた手つきで、白いテーブルクロスを掛けると、紅茶の支度をする。
「伊藤さん、また朝鮮に行くんだって」
「はい。来月参ります。すでに私の本宅は韓国ですから」
伊藤が笑う。伊藤は明治三十九年(一九〇六)年の三月から、漢城を拠点として韓国統監の執務を開始していた。
「今日はその件で私の見解を聞きたいと——」
「ご明察」
大隈はため息をつくと語り出した。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。