三
明治三十一年七月、早稲田の大隈邸には珍しい客が訪れていた。久米邦武である。
久米は明治二十八年から大隈の招きに応じて東京専門学校の講師となり、歴史学を教えていた。
二人は昔話に花を咲かせた。
久米が楽しげに言う。
「そうそう、あの時の問答は面白かった。どうしてああいう話になったのか覚えていませんが、神陽先生が『忠義とは何か』と問うたところ、江藤さんが『葉隠』から引用して忠義を徹底的に論じました。それをじっくり聞いた後、先生は副島さんに『二郎はどうだ』と問うても副島さんは黙っています。先生が重ねて問うと、ようやく副島さんは『さように大事なことを軽々しく論じることはできません』と言い、何も語らなかった。先生は感心し、『弁舌縦横な江藤と沈毅重厚な二郎か。時代が時代なら、二人いれば鍋島家が天下を取れたな』と仰せでした」
「そんなことがあったのか。覚えておらぬな」
「私の隣で、八太郎さんはこくりこくりしていましたよ」
「こりゃ、まいった」
二人が大声で笑う。
「佐賀にいた頃が懐かしいですね」
「ああ、懐かしい。東京にいる昔の仲間で、まだ元気なのは副島さん、大木さん、佐野さんくらいか」
久米が寂しげな顔でうなずく。
「そうですね。生きているという意味ではね」
久米は鍋島家と近い関係だったことから、旧佐賀藩士の事情に詳しい。
「噂には聞いていたが、皆そんな感じなのか」
「大木さんは病がちで、外に出歩くことも少なくなったと聞きます。佐野さんは酒の飲みすぎで——」
「体調が悪いのか」
「ええ、昔は酒など目もくれなかったんですけどね」
「そうか——。大木さんも佐野さんも、元を正せば学究の徒だ。政治家になってからのストレスは大きなものがあったのだろう」
晩年になって自らの集大成たる著作をまとめようとした大木だったが、体調の悪化でままならず、翌明治三十二年(一八九九)、鬼籍に入ることになる。
佐野は妻の駒子から叱られるので、その前では酒を控えていたが、目を離すと鯨飲し、手がつけられなくなっていた。その結果、四年後の明治三十五年(一九〇二)、酒の飲みすぎで倒れ、そのまま死去することになる。この時、詳しい事情を知らない天皇は、佐野が酒好きと聞き、見舞いに葡萄酒二ダースを贈ったという逸話がある。
「それで副島さんはどうした」
久米が首を左右に振る。
「いまだ枢密顧問官を務めていますが、頑迷固陋でほかの顧問官と相容れず、天皇の前で口喧嘩までやらかしたそうです」
「そうか。副島さんの悪い部分が出てしまったのだな」
元々、副島はまじめ一筋で頑固だった。それが年を取ることで助長され、周囲から忌避される存在になっていた。
「なんでそうなったのだろう」
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