イメージと現実のギャップがありすぎた出産
「妊娠」、「出産」と聞くとおめでたくて、何だかやわらかくてファンシーな印象すらあります。しかし私の場合は、ここまでイメージと現実のギャップが激しいものはない……と実感する体験となりました。
自分が出産する数年前、日本で妹の2人目の出産に立ち会って、その一部始終を真横で見て、手助けし、プレ体験させてもらったことがありました。そのおかげで、赤ちゃんってどんな存在なのか、妊婦の生活、そして出産について予備知識を持っていたつもりです。
ほかにも、著名な女性物書きたちの体験本を読んでみたり、高齢出産で命にかかわるような大変な出産を経験した先輩の話を聞いたりと、事前の情報収集を積極的にやっていた方だと思います。
それでも、実際に自分が体験すると衝撃の連続。
妊娠、出産は、自分が人間という動物の一種であることを身をもって感じる体験でした。その痛みや生々しさも相まって、身体も心もついていけずに、ズタボロになりました。
いまでもふと、その辺の道端を何気なく歩いている人たち全員が、それぞれとんでもない体験を通じてこの世に産まれてきたと思うと、信じられない気持ちになるほどです。
人によって、こうも違いがあるのかと驚いた出産体験。今回はいよいよ出産当日のクライマックスのレポートです。出産の瞬間に、これまた想像しなかった意外な感覚があったことも紹介しようと思います。
無痛分娩のアクシデントから
出産予定日を過ぎても陣痛がいっこうに訪れず、促進剤の力を借りて出産するべく、入院して2日目のことです。
朝から分娩室へ移動し、さらなる陣痛促進剤で陣痛を起こさせ、その痛みに限界を感じた夕方前に無痛分娩の処置が開始。そこからは点滴でつながった麻酔の機械のボタンを手渡され、痛みを感じるたびに自分でボタンを押して麻酔を注入するというシステムでした。
ところが、痛みを感じなくて済んだのはほんの数時間だけ。麻酔の機械がぶっ壊れただけでなく、その対応が随分遅れてほったらかしにされたことで、痛みがぶり返してしまったのです。
人生で体験したことのない最高潮の痛みの波に飲み込まれ、私は声をまともに出すこともかなわず、全身を強ばらせることしかできません。
「この痛みと状況をなんとかしてくれ!!!」とすがる思いで、何度もナースコールを押すも、麻酔研修医のイタリア人・マルコはなかなか戻ってきません。やっと彼が戻ってきても、機械を見ても無言のままで、また退散。
しばらくしてようやく先輩の若い麻酔医を呼んできたもののすぐに処置をするわけでもなく……、またしばらく放置されたあと、最終手段として麻酔医が手動で点滴に麻酔を入れる作業が始まりました。
応急処置のかいがあったのか、なかったのか、もうわけもわからないまま、気がついたら日付が変わって深夜に突入。朝の9時頃から分娩室にいるので、分娩台に乗ってから15時間が経過しています。
無痛麻酔が効いていた夕方頃には、このままいけば「今日中に産まれるわよ~」なんて助産師さんがなごやかに言っていたのは幻だったのか?
痛みや、研修麻酔医のマルコの頼りない処置でバタバタしていたら、助産師さんが分娩室を訪れる回数も頻繁になり、いよいよ赤子を押し出す「いきみ」をやってみよう、という段階になりました。