落城の時は、城に火をつけて兄者と共に腹を切る」|第三章 七 八

織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国の領主となった加藤清正のもとに仕官を願い出る。父が残した城取りの秘伝書と己の才知を駆使し、清正の無理な命令に応え続ける藤九郎──。戦乱の世に翻弄されながらも、次から次に持ちあがる難題に立ち向かう藤九郎は、日本一の城を築くことができるのか。

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 慶長四年四月、隈本に戻った藤九郎は頭を悩ませていた。清正から「大坂城にも勝る城を築け」と命じられたことが重圧になっていたのだ。

 ──わしの力で、それが成せるのか。

 大坂城は、無限に近い財力を持つ秀吉だからこそ造れた城だ。肥後半国十九万五千石の清正では、できることにも限りがある。ざっくり見積もっても、清正の実入り(収入)は秀吉最盛期の実入りの十分の一もないはずだ。全体の入前いりまえ(予算)をどの程度考えているのか藤九郎には見当もつかないが、上役の大木兼能は、藤九郎が提出した縄張図を見て渋い顔をしていた。

 ──だがそれは、わしが案ずることではない。

 入前を調整していくのは兼能や算用方の仕事で、藤九郎は理想的な縄張りを描けばよい。しかし大坂城は、何人もの一流の城取りが分業して縄張りし、それを黒田如水が監督して造った城だ。ところが隈本の新城は、藤九郎が一人で縄張りし、現場の差配も含めてやらねばならない。

 ──わしにできるのか。

 自らを鼓舞し、不安を無理にじ伏せようとするが、次の瞬間には再び不安が頭をもたげてくる。

 城の建設予定地は様々な要件を勘案し、茶臼山南麓ちやうすやまなんろくに築かれた隈本城の城域を広げることに決まった。そうなると茶臼山全域を城に取り込むことになる。

 藤九郎の茶臼山通いが始まった。

 茶臼山の頂上にやってきた藤九郎は、懐に入れてきた縄張図を取り出した。

 ──城は東向きにし、本丸の中央からやや北西寄りに天守を置く。天守は大坂城に倣って望楼型がよいと思うが、場合によっては層塔型にする。本丸の北東隅に不開門あかずのもんを設け、本丸の北西隅から通路を延ばして平左衛門丸(宇土櫓)に達するようにする。平左衛門丸の南には頰当ほおあて御門から通路でつながる西竹ノ丸(飯田丸)を配置する。西竹ノ丸の東に東竹ノ丸を設ける。ここから鉤形かぎがたに折れた大手道を通す。本丸の西には西出丸を設け、その北から西にかけて三ノ丸が取り巻く。三ノ丸の西には城の本尊の藤崎八旛宮にご鎮座いただく。

 目の前は鬱蒼うつそうとした叢林そうりんだが、伐採され、整地され、完成した後の城の姿が、藤九郎の目には浮かんでいた。

 なお各曲輪の名称は、それぞれの曲輪の普請作事を担当する重臣たちの名を仮に入れている。

 その時、背後で「やはり、ここにいたのか」という声が聞こえた。

「藤十郎、どうしてわしがここにいると分かった」

「兄者が見つからなければ、ここしかないだろう」

「それもそうだ」

 二人は声を上げて笑った。

「今、浮かない顔をしていたが、何を考えていた」

「もちろん新城のことだ」

 藤九郎は持っていた縄張図を藤十郎に見せた。

「この縄張図は穴の開くほど見ているが、何度見ても非の打ちどころがない」

「ああ、父上の教えを守り、あらゆることを勘案して描いたものだからな」

「父上、か」

 藤十郎がその場に腰を下ろしたので、藤九郎もそれに倣った。

「何か気になるのか」

「いや、われらは幼い頃に父上を亡くしたが、父上が書き残してくれたもので城取りとなれた」

「その通りだ。父上が残してくれたおいいっぱいの秘伝書が、われらを城取りにしてくれた。そして兄弟で今、日本一の城を築くことになった」

 藤十郎と話しているうちに、藤九郎の胸を占めていた黒雲が少しずつ晴れてきた。

 ──わしには此奴と秘伝書があるのだ。

 それが藤九郎の自信を呼び覚ました。だが今度は、藤十郎が浮かない顔をしている。

「兄者の言う通りだ。すべては父上の秘伝書あってのものだ。だがな──」

 藤十郎は何か言い掛けてためらった。

「何が言いたい。われらは兄弟ではないか。腹蔵なく話してくれ」

「ああ、分かっている」

 それでも、藤十郎は何かを考えているようだ。

「言いたくなければ、言わなくてもよい」

「いや、そうではない」

「では、何だ」

「実はな、われらは父上の秘伝書にとらわれすぎていないか」

「囚われすぎているとは、どういうことだ」

 藤十郎が勇を鼓すように言った。

「何か壁に突き当たる度に、われら二人は、父上の秘伝書に何か手掛かりがないか調べることを繰り返してきた」

「そうだ。そして大半の厄介事は、それで片付いた」

「それについて異論はない。だがな──」

 藤十郎が首を傾げつつ言う。

「それでいいのだろうか」

「そなたの言っていることが分からん」

「つまりわれらは、すべてを父上の教えに依存してきた。だが父上の秘伝書がなかったら、もっとよい形で難題を片付けられていたやもしれぬ」

「何を言っている。秘伝書があったからこそ、どのような厄介事でも片付けられたのだ」

 藤九郎は、藤十郎の言うことを頭から否定せねばならないと思った。

「よいか藤十郎、父上は総見院そうけんいん様(信長)に重用された城取りだ。安土の城も、つまるところは父上が造ったのだ」

 一般的に築城者としては、普請作事の奉行を務めた者の名しか残らない。安土城の場合、普請作事の奉行を務めた丹羽長秀が築城者となる。だが実際に縄張りを描いたのは、二人の父の木村次郎左衛門忠範のような名もなき城取りだ。長秀はそれを承認し、普請作事全体の監督を行ったことになる。むろんそれもたいへんな仕事で、長秀ほどの器量者でないと務まらないのも確かだ。

「いかにも父上は、城取りとしても武人としても非の打ちどころのない男だった」

「その父上が書き残した秘伝書だ。これほど貴重なものはない」

「分かっている。だがそれにこだわりすぎて、逆にそれに縛られているような気がするのだ」

「縛られているだと。そんなことはない」

「そうだろうか。もう兄者は、自分で厄介事を片付けていける力を備えている。それをいつまでも秘伝書に頼っていては、新しい方法を編み出せないのではないか」

 藤十郎の言うことが分かってきた。

「そう言ってくれるのはうれしいが、やはりわしは秘伝書がないとだめだ」

「本当にそうなのか。秘伝書は昔の技を前提として書かれたものだ。今は石垣一つ積むのも日々、新たな方法が編み出されている」

「それはそうかもしれんが、基本は変わらない。此度の新城の普請作事の差配をお受けしたのも、秘伝書があるからだ。それがなければ到底、わしなどの担える仕事ではない」

「でもな──」

 藤十郎がため息交じりに言う。

「われらもいつかは、秘伝書から離れていかねばならぬと思うのだ」

「父上の秘伝書が古びていくというのか」

「むろんすべてではない。これからも大切な教えが大半だ。しかし武将たちの嗜好しこうは変わる。しかも工期短縮の要求は日増しに高まっている。そうした情勢変化に合わせた城造りを、われらも考えていかねばならんと思うたのだ」

「だからといって、父上の秘伝書が不要ということにはつながらないだろう」

「それはそうだ。だがそこから離れないと、浮かんでこない発想もある」

「そんな話は聞きたくない!」

 藤九郎にとって自信の源泉は秘伝書にあった。秘伝書のお陰で、ここまでやってこられたと言ってもいい。それを否定されることは、自分の存在意義を否定されるに等しいことだった。

「そこまで秘伝書のことを大切に思っていたのだな。兄者、すまなかった」

 それだけ言うと藤十郎は立ち上がり、その場から去っていこうとした。

「待ってくれ」

 藤九郎の言葉に、藤十郎が立ち止まる。

「わしがどれほどの重圧の中にいるか、そなたに分かるか」

「ああ、分かっている」

「本当にそうか。もしも城を攻められて落城となれば、すべての責はわしに来る。その重圧がどれほどのものか、本当に分かるのか!」

「兄者──」と言って振り向いた藤十郎の目には、涙が浮かんでいた。

「わしは、いつでも兄者と一心同体だと思ってきた。それなのに──」

「口では何とでも言える。だが大工頭はわし一人なのだ。その責の重さを分かち合うことなどできない」

「いや、できる。兄者が腹を切る時は、わしも切る覚悟はできている」

「それはまことか」

「うむ。落城の時は、城に火をつけて兄者と共に腹を切る。わしはそう決めている」

 藤十郎の瞳には、真摯しんしな光が溢れていた。

「そこまで考えていてくれたのか」

「当たり前だ。われらは──」

 藤十郎が大きく息を吸うと言った。

「兄弟ではないか」

 ──そうか。兄弟だったな。

 藤九郎は、この時ほど藤十郎を大切に思ったことはなかった。

「そなたの言う通りだ。わしが間違っていた」

 藤九郎が頭を垂れる。

「よせ、兄者らしくない」

「そなたは大切な弟だ。そなたと秘伝書があってのわしなのだ」

「いいや、もう兄者一人でもやっていける。わしと秘伝書は添え物だ」

「何を言っている。その添え物があってこそ、わしはここにいる」

 藤十郎が力を込めて言う。

「そこまで言ってくれるのか」

「当たり前だ。そなたとわしの二人で城を築いていくのだ」

「そうだな。わしら二人には城を築くことしかできないからな」

 藤十郎が幼い頃のように満面に笑みを浮かべる。その顔は涙でくしゃくしゃになっていた。

「藤十郎、二人で隈本の新城を造ろうな」

「ああ、われらなら日本一の城が造れるぞ」

「藤十郎、来い!」

 藤九郎が駆け出すと、藤十郎もそれに続いた。二人が茶臼山の端まで来ると、そこからは隈本の町が一望の下に見渡せた。

「兄者、この町に日本一の城が建つのだな」

「そうだ。日本一の町に日本一の城が建つ!」

「やるぞ。やってやるぞ!」

 藤十郎が雄叫おたけびを上げる。

 ──父上、見ていて下さい。われら二人は必ずやり遂げます。

 抜けるような青空に向かって、藤九郎は誓いを立てた。

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もっこすの城 熊本築城始末

伊東潤

藤九郎、わしと一緒に日本一の城を築いてみないか――。 織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国領主加藤清正のもとに仕官を願...もっと読む

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