九
翌日になり黒田家から木材が提供され、夫丸たちが屋根の下で暮らせるようになった。
数日後、修羅もでき上がり、いよいよ石の運搬が始まろうという時だった。
東出丸にいると、又四郎が血相を変えて走ってきた。
「たいへんです。石がありません!」
「何だと!」
藤十郎も交えた三人で石材置き場に行くと、前日まであった石のいくつかがなくなっている。しかも隅石にするつもりだった大きめのものばかりが、盗まれているではないか。
「どういうことだ!」
「朝、こちらに来てみたら、なくなっていたんです!」
そこには、石を引きずった跡が残されていた。途中で修羅にでも載せたのか、その跡はかき消され、誰がどこに運んでいったのかは判然としない。
だがその方向からすると、小西家の普請場以外に考えようがない。
──やはり小西家中の仕業か。
藤九郎は天を仰いだ。石が足りなくて盗んだのか、単に加藤家への嫌がらせかは分からない。
「藤九郎様、石には印が付けてあります。誰が盗んだのかは、すぐに分かります」
又四郎が必死の形相で言う。
──だが分かったところで、「知らぬ存ぜぬ」と言われればそれまでだ。
石に付けられた印を確かめるために石に近づけば、喧嘩になるのは目に見えている。他家と揉め事を起こせば、その波紋がどこまで広がるか分からない。
「もうよい」
「兄者、もうよいとはどういうことか」
今度は、藤十郎が血相を変えて問う。
「下手な詮索をしたところで、仕事がはかどるわけではない」
「だからといって、泣き寝入りをするわけにもいくまい」
「不寝番を置かなかったわれらにも非がある」
「なぜだ。悪いのは盗んだ方ではないか」
「聞け!」
藤九郎が藤十郎の胸倉を摑む。
「ここで揉め事を起こしてどうなる。事が大きくなれば、殿のお耳にも入る。そうなれば殿とて引っ込みがつかなくなる。われらが堪えれば、万事は丸く収まるのだ」
「それでは、小西の連中から腰抜けと思われるぞ」
藤九郎の気魄に気圧されながらも、藤十郎が反駁する。
「盗んだのが小西家とは限らぬ。ここは大局に立ち、隠忍自重すべきだ」
藤九郎が己に言い聞かせるように言うと、藤十郎もようやく納得した。
「分かったから手を放してくれ」
藤十郎の胸倉から手を放すと、藤九郎は又四郎を見た。又四郎はその場にへたり込み、口惜し涙に暮れている。
「又四郎、盗まれたものは仕方がない。だが物は考えようだ」
「物は考えよう──、それはいかなる謂で」
「幸いにして黒田家は、石が足りなければ切り出すと言ってくれている。事情を話して頼みに行くことになるが、そうなれば、こちらの指定する寸法に切ってもらえる」
「ははあ、なるほど」
藤十郎は、すぐに藤九郎の真意を察した。
「わしは当初、切り出された石の中から隅石を選ぶつもりでいた。だが、都合のよい寸法のものは少ない。それでどうしようかと思案していたのだ。逆に盗まれたことで、こちらの指定する寸法にしてもらえる」
「まさに物は考えようだな」
「ああ、転んでも、ただでは起きぬ」
そう言うと、藤九郎は黒田家の普請場に足を向けた。
だが事は、そう容易には運ばなかった。石切り場では、石の不足を訴える家中が列を成し、黒田家の差配役は、てんてこ舞いの忙しさだったからだ。それでも事情を説明し、了承してもらったのはよいが、いつまで経っても石が切り出されてこない。
石が盗まれてから五日ほど待ってみたが、加藤家の石はいまだ切り出されず、作業が始められない。その間、夫丸たちは手持無沙汰となって賭け事や酒に興じるようになり、働く意欲が失われつつあった。
藤九郎は黒田家の石切り場に幾度となく足を運び、平身低頭して頼み込んだ。しかし、どういうわけか黒田家の差配役は後から頼んできた家中を優先している。それを指摘すると、顔を真っ赤にして怒り出し、遂には「聞いておらん」とまで言い出す始末だった。確かに口約束なので、聞いていないと言われればそれまでだ。
そこに作兵衛が戻ってきた。藤九郎から事情を聞くと、作兵衛は「任せろ」と言って黒田家へと出向いた。
戻ってきた作兵衛が「明日には、指定した通りの石材が切り出されている」と言うので、藤九郎がその理由を問うと、作兵衛は「袖の下よ」とだけ答えた。
作兵衛によると、物事を円滑に進めるためには、「一に圭幣(賄賂)、二に縁故、三に熱意」だという。
作兵衛は、「厄介なことだが、これが現世だ」と言って苦笑いした。
作兵衛の言う通り、翌日から加藤家の石が切り出され始めた。ところが今度は、現場が混乱していて石をなかなか運べない。割普請にはよくあることだが、互いの石が邪魔をして運搬がはかどらないのだ。
馬場下の石切り場周辺では怒号が飛び交い、夫丸どうしの些細な口論が、大人数の喧嘩へと発展することもあった。
その度に藤九郎は間に入り、いかに相手が悪かろうが、事を荒立てないよう平身低頭して詫びた。
そんなことを繰り返すうちに、藤九郎はほかの家中からも一目置かれるようになり、歩いていると挨拶されたり、言葉を掛けられたりするようになった。
「加藤家の若頭は有徳人(人格者)だ」という評判が立ち、次第に諸家中が自発的に譲り合い、協力し合うようになった。
そうした雰囲気を作れたことが、藤九郎には涙が出るほどうれしかった。
五月末、ようやく指定通りの石がそろい、加藤家の現場にも活気が溢れてきた。
ところが今度は梅雨に入り、作業がはかどらない。藤九郎は陣頭指揮を執り、自ら修羅を引いて石を積んだが、雨が激しくなれば石も滑るので、危険が倍増する。
遂に他家の現場で圧死者が出た。上り坂で石を運んでいる最中、修羅が滑って石が転がったのだという。そのため雨が降っている間は、作業を中断せざるを得なかった。
そうこうしているうちに五月も終わり、六月に入った。五月に比べれば天気のよい日が多くなったが、今度はひどい暑さで、仕事がなかなかはかどらない。
そんな中、清正が現場の士気を鼓舞するために来訪するという知らせが入った。となると清正の休息所を設営せねばならない。休息所といっても屋敷に準じたものになるので、たいへんな手間が掛かる。しかも清正が帰れば、解体せねばならないのだ。
藤九郎たちは寝ずに仕事をし、六月中旬いよいよ清正を迎えることになった。
玄界灘から吹いてくる風に抗うかのように、清正は海を眺めていた。曇天なので壱岐や対馬は雲に覆われているが、それが逆に不穏な雰囲気を醸し出している。
すでに清正は、秀吉から第二軍として半島に進出することを命じられていた。むろん清正とて、この出征が死の危険と隣り合わせなのは覚悟しているに違いない。
──殿は、あの海を渡っていくのだな。
風の音が耳朶を震わせる中、背後に控える藤九郎たちは、清正の胸中を推し量り、口をつぐんでいた。
しばらくして清正は振り向くと、拝跪する夫丸たちに向かって言った。
「大儀」
「はっ、ははあ」
藤九郎と作兵衛が地に頭を擦り付けると、背後に控える者たちもそれに倣った。
「この城は関白殿下の御座所となる。殿下はこの城に入られ、その後、半島に渡られる。それゆえ、この城は殿下と日本国の新たな出発点となる。その大事な仕事を、そなたらは担っておるのだ。しかも殿下の入城する十月十日までに、大坂城と同等の城を築く。それも、いずれの家中よりも早くだ。だが──」
清正の声音が厳しいものに変わる。
「わしが検分したところ、わが家中が最も遅れておるようだ」
背筋に冷や汗が伝う。
「むろん、まだ競い普請は終わっておらぬ。それゆえ負けと決まったわけではない。だが、どこかの家中に後れを取った時は、誰かが責めを負わねばならなくなる」
その言葉に藤九郎の全身が凍り付いた。
──つまり死を賜るということか。
「わしは負けるのが嫌いだ。わしにとって負けは死と同じだ。幸いにして、これまでわしは負けたことがない。それゆえ命を長らえ、ここまでの大身になった。だが競い普請で負けたとあれば、わしの面目は丸つぶれだ。この海を渡り、大明国の都に一番乗りを果たしたとて、他家に御座所造りで引けを取ったとなれば、わしはここに戻ってくるつもりはない」
──殿は本気だ。
死を覚悟して半島に渡る清正と同じ覚悟を、清正は藤九郎たち普請方に持ってほしいのだ。
「わしにこの国の土を再び踏ませたいなら、他家に負けてはならぬ!」
それだけ言うと、清正は普請場を後にした。
陣羽織を翻しながら去っていく清正の後ろ姿を見つめつつ、藤九郎は何としてもやり遂げねばならないと思った。
「藤九郎殿」という作兵衛の声で、藤九郎はわれに返った。
「殿の覚悟のほどが知れた。もしも他家に後れを取ったら、われらの首が飛ぶ」
「分かっています。死ぬ気で掛からねばなりません」
「果たして勝てるだろうか」
作兵衛の顔には、不安の色が差している。
──自信がないのだ。
それは、作兵衛が他家の普請作事方の腕を知っているからに違いない。
「勝てるかどうかは分かりません。ただし厄介事を丹念に片付けていけば、光明が見出せるのではないでしょうか」
今の藤九郎には、そう答えるしかない。
「そうだな。きっとそうだ」
作兵衛は大儀そうに立ち上がると、悄然と肩を落として作業場に向かった。その後ろ姿には、過度な重荷を背負わされてしまった者の苦しみが溢れていた。
──元来が職人気質の作兵衛殿には、荷が重すぎる。やはりわしが陣頭に立たねば。
玄界灘から吹く風が強くなった。それは警鐘を鳴らしているようにも、激励しているようにも感じられる。
藤九郎は、これまでにない厳しい戦いに挑む覚悟をした。
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