七
十月、大隈は岩崎弥太郎の別邸を訪問した。この別邸は本駒込にあり、「六義園」と呼ばれる大名庭園が付属していた。元々は柳沢家の下屋敷として造営されたものだが、二万七千坪という広さだけでも、創建者の柳沢吉保の権勢の大きさを表していた。
この日は天気がよかったこともあり、岩崎は庭園に椅子を出して大隈を迎えた。ちょうど紅葉の美しい季節で、岩崎自慢の庭園は、紅色や黄色の奔流と化していた。
「やあ、岩崎さん」
あえて陽気に声を掛けたが、岩崎は椅子から立てず、首を動かして、わずかに会釈するだけだった。
——これはひどい。
岩崎の胃癌は末期症状を示しており、体は枯れ枝のように痩せ衰え、その顔色は青黒くなっていた。
「岩崎さん、具合はどうですか」
「見ての通りです」
岩崎が苦笑いを漏らす。その顔は老翁のようで、とても四十九歳には見えない。
「気休めを言うつもりはありませんが、病は気からです。これまで幾多の苦難を乗り越えてきた岩崎さんだ。病もいつか退散します」
「どうも此度ばかりは難しいようです」
それについて大隈は何も言えない。
「何人ものドイツ人医師を雇い、本国から最新の医療機器まで取り寄せたのですが、彼奴らもお手上げのようで、最近は治療らしい治療もしてくれません」
「そうだったんですね」
「これもまた天命です。残された日々がどれほどあるかは分かりませんが、最後の瞬間まで戦い続けます」
「戦う、と仰せか」
「そうです。共同運輸とは、どちらかが倒れるまで戦うだけです」
「しかし相手は政府も同じだ。近頃はダンピングどころか、無償で運んでいるという話を聞きましたぞ」
「よくご存じで。そうなのです。それをやられたら、こちらは持ちません」
三菱と共同運輸の激しい競争状態を憂えた農商務卿の西郷従道が、双方の代表者を呼んで仕事のすみ分けを図ろうとしたが、三菱の利益の柱とも言える路線を「共同運輸に分け与えよ」という提案をしてきたので、報告を聞いた岩崎は「交渉の決裂」を宣言した。
面子をつぶされたと思った従道は激怒し、記者たちに「三菱は国賊」と言い放ったため、この新聞記事を読んだ岩崎はさらに怒り、「これまで国家に尽くしてきた三菱を国賊とは聞いて呆れる。三菱所有の船舶をすべて遠州灘に集めて焼き払うので覚悟しておけ。わしの資産はすべて野党(立憲改進党)に渡す。そうすればこんな政府は早晩つぶれる」と言ってのけた。
三菱が全船舶を焼いてしまえば、日本経済が立ち行かなくなるのは、火を見るより明らかだった。それでも周囲は、大げさに言っていると高をくくっていたが、岩崎は弟の弥之助に船舶を遠州灘に集め、すべて焼くように指示した。
だが弥之助は、さすがにその命令を聞き入れることができず、大隈に相談したのだ。
「大隈さんは、弥之助から頼まれたんですね」
「まあ、そういうことです。弥之助さんはまじめな方だ。兄上の命令とあれば、本気で船を焼きますよ」
「もはや大隈さんしか、私を押しとどめられないのですね」
「どうやら、そのようです」
岩崎が弱々しい笑いを漏らす。
「岩崎さん、確かにこの会社は、あなたが裸一貫から立ち上げたものだ。しかし政府が気に入らないからといって、商売道具の船を焼いてしまったら、事業が継続できなくなる。そうなれば、これまで粉骨砕身して働いてきた社員たちを路頭に迷わすことになりますよ」
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