九
明治十三年になり、伊藤らはさらに大隈の影響力の低下を図ってきた。
二月、伊藤は官制改革の一環として参議と各省卿の兼任を解くことを提案し、それが閣議決定された。伊藤としては、参議が各省の利益代表になってしまうことを避けたというが、狙いは大隈の権限を縮小することにあった。
言うまでもなく大隈はこれに反対し、参議もそれぞれの担当分野を決めようと主張し、伊藤らの妥協を勝ち取った。これにより大隈は会計部担当参議となる。だがこの職には、伊藤と寺島宗則も就くことになったので、大隈の思惑通りにはいかなかった。
それならとばかりに大隈は、大蔵卿の後任に佐野常民を就けるなら、官制改革に賛成すると主張した。むろん伊藤は反対したが、岩倉の仲介で最後には認めることになる。
まさに大隈と伊藤は四つに組み、高度な駆け引きを続けていた。
一方、突然大蔵卿に指名された佐野は、佐賀藩時代から技術畑を歩んできた生粋の技術者で、しかも大隈より十五歳も年上ということもあり、大隈の言うままに動くはずがなかった。
五月、かつて自らが座っていた大蔵卿の椅子に座る佐野と大隈の間には、険悪な空気が垂れ込めていた。
「佐野さん、私の案には、どうしても同意いただけないのですね」
「ああ、同意できんな」
少し長くなった白髪を背後にかき上げるようにして、佐野がうなずく。
佐野常民はすでに五十八歳になっている。佐賀藩屈指と謳われた若き俊秀も、すでに白髪を蓄える好々爺となっていたが、その鋭い目つきは変わらない。
「大隈、いや大隈さん」
「佐野さん、かつてと同じように呼び捨てで結構です」
「分かった。では大隈、五千万円もの外債を募集する意味が分かっているのか」
当時の一円は現在価値に換算すると三千八百円ほどなので、当時の五千万円は今の一兆九千億円という膨大な金額に上る。
「もちろんです。すでに政府の財政は逼迫しています。しかし外貨を生み出す国内産業は育っていない。その産業を育てるために、海外から金を集めて近代化を推進せねばならぬのです」
大隈はこの年五月、大きな提案を閣議に提出した。
一つ目は官営工場の払い下げなどにより経費の削減を行うこと。二つ目が近代化の推進と不換紙幣の償却、すなわちインフレ対策を進めるための思い切った外債募集だった。
大隈はパークスを通じてオリエンタルバンクの支配人を務めるロバートソンと親しく交友しており、いわば巨額の外債募集は、大隈でしかできない資金調達方法だった。
「君の考えは必ずしも間違っていない。だが五千万円とは常軌を逸した額ではないか。そんなことをすれば債権国に担保を取られ、わが国の経済的独立が脅かされる」
「しかしこのインフレを脱却するには、積極財政策しかありません」
「それは違う。エジプト、スペイン、トルコの例を見ろ。外債の負担が重くのしかかり、債権国の干渉を招き、自主的な財政策を取れないどころか、植民地化されているではないか」
産業革命に成功した先進国、すなわち列強は後進国を多額の借款で縛り、半ば植民地のように扱い、そこから上がる利益を搾取していた。このサイクルに入ると、稼ぎ頭となる産業が育っても担保として取られ、その生み出す利益を持っていかれるので、いつまで経っても国家も国民も豊かにならない。
——さすが佐野さんだ。
佐野は若い頃から勉強家だった。大蔵卿という大任を全うするために、就任が決まった時から懸命に学んでいたのだ。
「彼らは、産業の振興に外債を振り向けなかったからです。インフレ抑止策に振り向けただけでは富を生み出しません。私が五千万円という巨額の外債を募集しようというのは、産業振興策までやろうとしているからです」
佐野が机を叩く。
「だからといって、その産業振興策が失敗したらどうする。われらは英国の言いなりになるだけだぞ」
「勝算があるから言っているのです。道路と港湾の整備による貿易の振興、紡績工場の増設、鉱山開発、そして佐野さんの専門の造船業など、三年から五年で利益の出る事業はいくらでもあります」
「でも年利は十パーセントだろう。それだけでも返していくのはたいへんだ」
——恐れているのだ。
初めて専門外の地位に就き、佐野はリスクを取るのを恐れていた。しかも佐野は高齢であり、失敗すれば取り返しがつかない。
——さすがの佐野さんも、年齢的に保守的になるのはやむを得ない。
だが佐賀藩時代、常に新奇なものに興味を示し、失敗覚悟で挑戦し、試行錯誤の末に自国製の蒸気機関を製作した佐野の変貌が、大隈には少し寂しかった。
「では、佐野さんの考えをお聞かせ下さい」
「よし、分かった」と言うや、佐野が自らの考えを披露した。
「外債の額を千五百万円とし、当面のインフレ対策、すなわち紙幣の償却に充てるべし」
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