七
明治十二年(一八七九)になった。
松飾りも取れた頃、大隈は五代友厚の訪問を受けた。この頃の五代は大阪商法会議所(後の大阪商工会議所)の会頭として辣腕を振るい、大阪経済界の重鎮となっていた。まさに政商を地で行く五代だったが、大隈との関係は良好で、常に連絡を絶やさない間柄だった。また五代は薩摩系の政治家と商人たちの中心を成しており、政財界のフィクサー的存在だった。
その五代が、この時は深刻な顔をしていた。
「いったいどうした」
五代は大隈より二つ年上の四十四歳だが、ごく親しい間柄なので、大隈は敬語を使わない。
「少し気になったことがあってね」
「内閣のことか」
「ああ、君が長州の連中と険悪だと聞いた」
「まあな。伊藤や井上らは、いまだに藩閥政治を行おうとしているからな」
世間一般が自由民権運動で盛り上がっているにもかかわらず、長州藩閥は議会制民主主義と距離を取り、いまだ寡頭制で政治を行おうとしていた。
「それは分かるんだが、少し歩み寄ったらどうだ」
「伊藤にか。冗談ではない。彼奴がわしのインフレ対策や産業振興策に、ことごとく反対するのだ。わしは井上の工部卿就任を快く認めたにもかかわらずだ。彼奴の方から歩み寄ってくるべきだ」
五代がため息をつきつつ言う。
「いいかげん、大人になれ」
五代が大隈をにらみつける。
「大人になどなれるか」
「それが君のいけないところだ。苦言を五つ呈させてもらう」
「五つもあるのか」
「そうだ」
「構わない。言ってくれ」
五代が威儀を正すと人差し指を出した。
「第一に人の話をよく聞け」
「聞いておる」
「分かっている。だが君は一を聞いて十を知るかのように、人に最後まで語らせない」
「一を聞けば、その言わんとしていることは理解できるからだ」
「だとしても、最後まで耳を傾けることで、互いに信頼関係が築ける」
大隈は相手の言の趣旨を理解すると、相手の発言を最後まで聞かないことが多々あった。
「わしは多忙だ。にもかかわらず、同じことを繰り返し言う者がいる」
「分かっている。それでもじっくり聞くのだ」
大隈は誰かが何かを語り出すと、すぐにそれを制して、「要はこういうことか」と尋ね、「そうだ」と答えると、もう聞く耳を持たない。
「それもそうだな。わしは忙しさを理由に、他人の言葉にじっくり耳を傾けていなかったやもしれん」
「それが分かればよいのだ。次に——」
五代が指を二つ立てる。
「誰かが君の意見と五十歩百歩のことを言ったら、自分の意見を言わず、『よくぞそれに気づいた』などと言って褒めそやし、その者の意見として取り上げるべきだ」
「つまり、これまでわしは、すべて自分の功にしてきたというのか」
「そうだ。君が気づいているのは皆知っている。だが誰かに功を取らせるのだ。さすれば君の徳望は上がり、味方が増える。人とはそういうものだ」
「そうか——」
これにも心当たりがあった。大隈は政府内で何事も自分の考えとして主張なり提案してきた。だが誰かの一言がヒントになって、自分の考えが急速にまとまることもあった。
「分かった。君の言う通りだ。もはや一騎駆けではないのだ。わしが功を挙げる必要はない」
「そうだ。それが将たる者の気構えだ。そして三つ目だが——」
「まあ、待て」と言うと、大隈は五代に葉巻を勧めた。
「いただこう」
二人は紫煙を吐きながら語り続けた。
「君が才能と知識に溢れているのは、誰もが知っている。だが至らない者に対し、怒気を発し、面罵するようなことがあってはならない。これが三つ目だ」
確かに大隈は、仕事のできない下役に対し、あからさまに面罵することがあった。大隈にとって当たり前のことが、他人にとっては当たり前ではないことに苛立ちを覚えるのだ。
「それも心得ている。わしとしては、指導的立場として下役を叱ってきたつもりだが——」
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