2人以上の子どもを育てているほぼ全ての親が言いがちなセリフに、「子どもって、同じ親が育てたって、ぜんぜん違う個性を持った子に育っていく。結局人って、育て方とか育った環境とかじゃなくて、本人の生まれ持ったもの次第なんだよね」というものがあると思う。
私はこの手の「同じ親が育てたって、同じようには育たない」論を耳にするたびに、「ん?」と思っていて、「どの子も同じように育てたけど、1人目と2人目はぜんぜん違う感じに育ったもん」などと体験談を交えてしみじみと語る人を見かけるたびに「この人はだいぶ勘違いをしている、そんなことはあるはずがない」と思ってきた。
だって、多くの親はみんな、子育てをする中で反省からの教訓とか改善とか試行錯誤を繰り返している。自覚していない親があまりに多いけど、ほとんどの家庭において、子育ては日々アップデートされている。
だから、同じ親が育てたって1人目と2人目の育児ではだいぶ違うものになっているし、それに百歩譲ってそうでなかったとしても、同じ家庭で育ったと言っても第一子として生まれたのか、それとも第二子だったのか、あるいは第三子だったのかなどで、子どもが幼少期を過ごす境遇としてはまるで別物だろう、とも思う。
……ということを踏まえて、私は最近、深く感じていることがある。それは、私たち夫婦の第一子である息子への爆発的な感謝だ。
私は2人の子を持つ母親になる
先日、第二子として生まれてくる予定のお腹の子どもが22週を迎え、流産の可能性が0になった。ここからはもしフライングで生まれてしまうようなことがあったとしても「早産」であり、お腹の外に出てしまった場合の生存確率が俄然上がった。そんな22週を迎えたことで、私としては「きっと生まれてくるのだろう」と、2人の子を持つ母親となることへの実感が湧いている。
そして思うようになったことが、息子と、この先に生まれてくる次男(男の子でした!)とでは、育てる係が同じ私たち夫婦であっても、だいぶ違う家庭環境だし、教育もかなり変わるだろうということだ。
私にとって息子との出会いは、新生児との出会いであり、乳幼児との出会いであり、1歳児、2歳児、3歳児との出会いだった。これまでの人生で出会ったことがない生き物であり、全くの未知との遭遇だった。
「赤ちゃんって、こういう生き物なんだ、なるほど」
「幼児って、こういう生き物なんだ、へええ!」
そう思うことの連続だった。それらの実感や発見は、育児書に書いてあるようで書いてないことばかりで、仮に書いてあったとしても文章として読んでサクッと理解できるようなものではなく、実際に目の当たりにしてやっと把握できることばかりだった。童貞や処女の状態でセックスの教科書を読んでも、セックスの経験値は上がらないし、「結局セックスってどんな感じなんだ」と思い続けるのと同じで、生の赤ちゃんや生の幼児に触れて初めて「なるほど、こういう感じ!」「そういうことか!!」と分かるようになることだらけだった。
これまで肩の力を抜いて育児をしてきたけれど
私は、第一子のわりには、第五子を育てる親くらいの肩の力で育児に取り組んでいたタイプだとは思うし(例:離乳食の手作りはしない、など)、「もはや、一般的にはこの感覚って孫に抱くやつなのでは」と思うこともあるくらい、ただ楽しんで可愛がって育ててきた。第一子だったから気合を入れすぎた、神経質になりすぎた、期待しすぎた、心配しすぎた、もっとああしておけば良かった……みたいな後悔は特にないし、当初から頭を使いまくり工夫を凝らしてきたから余計な徒労感も味わっていないし、わりとベテランじみたテンションで育児をしてきた方だと思う。
でも、それでも、この後生まれてくる第二子に比べると、息子には随分と……この気持ちをなんと呼べばいいのだろう、とても難しいのだけど、感覚的に言語化してみると、"お世話になった"と感じている。
私たち夫婦は、息子の前では結構たくさんのケンカをした。いや、ケンカではなく話し合いだったことも多いけど、息子の目にはケンカに見えていただろうし、話し合いがヒートアップしたら実質ケンカと似たようなものだった。
子どもの前でケンカをするべきではない、なんてことは分かっているけども、それは理想論であって現実的ではなかったし、子どもは2歳くらいでも立派に仮面夫婦を見抜いてくるから、朝に感じた違和感を夜まで押し殺して変に取り繕って過ごすというのは逆に子どもを不安にさせることだったし、そもそも子どもが一緒にいないシチュエーションなんてなかなか作り出せるものでもないし、その場でさっさと話し合って解決した方が明らかにメリットが多くてデメリットが少ないと思うことが多く、私たちはわりとよく息子の前でもシビアな話し合いをしたり、シリアスな空気になったりしていた。
修正や改善を重ねてきた3年間
そして、そうやってケンカや話し合いをした分だけ、問題は解決したし、方針などの擦り合わせが完了して、夫婦としての結束は強まり相性も良くなった。
これだけバージョンアップが完了した状態で、私たち夫婦と出会える次男の方が、"家庭環境"としては遥かに恵まれている部分があると思う。
男女として・夫婦としての相性は元々良かったけど、子育てを共有するタッグとしての私たちは、息子が生まれた時点からスタートした関係だったから、すれ違うこともあれば、ぶつかることもあり、不具合を感じることなどは日常茶飯事で、その都度2人で立ち止まっては、修正や改善を重ねてきた3年間だった。
「また新生児を育てるんだなぁ」と考えながら、息子が新生児だった頃から今までの3年間を振り返ると、息子には、私たち夫婦のド新人時代、研修生のような未熟な時代をめちゃくちゃ支えてもらったと、つくづく思う。
よく付き合ってくれたし、付いてきてくれた。
本当にありがたいと思う。
もしもあなたが私の第二子、第三子だったら、またぜんぜん違った環境で育ててあげられたのに、最初っからベテランじゃなくて、申し訳なかったとも思う。
教育にしたってそうだ。私は、子どもの心を壊さないで守るような育児はおそらく得意なのだけど、基礎的な教育(子どもとしての基本の発達を促すような育児)は苦手というか発想にない部分であることが多く、検診や試験等で、できるかどうか、わかるかどうかなどを確認されるようなことは(物の名称を知っているか、道具をうまく使えるか、など)「え、こんなに小さい子どもに、そんなことを家庭で教えるの?まじ?なんの機会に?そのやり取り、盛り上がるの?」と思うようなことばかりだった。
「ああ、なるほど、こういうことのために、こういうことを教えておく必要があるのか」とか、「この月齢くらいから、与える環境次第では、実はこういうことが可能なのか」とか、「これが出来るようになると、こんな風に楽しいことのバリエーションが広がるのか」とか、乳幼児の生きている世界観については、息子を通して世間と触れていく中で学ぶことが多かった。
息子が生まれてから700本以上の原稿を書いた
ちなみに息子が生まれてからの3年間、私は息子に教わったことや、息子の育児を通して気がついたことを、なるべく原稿にして書き留めるようにしてきたのだけど、その数は現時点で軽く700本を越えている(書いたものはnoteやcakesで発表してきた)。私にとってこの3年間は、それほど大量の原稿が生まれるほどに発見の連続であり、濃い経験だった。
第二子には、この経験値の分だけ、最初からより優れた環境や教育を提供することができる。そう考えると、あまりにも違う。