—— 今回はまた、どうしてお散歩漫画を描いてみようと思われたんですか?
妹尾朝子(以下、妹尾) まったく思ってなかったんです!
小沢高広(以下、小沢) なのですが、あるときJR西日暮里駅近くのサンズハウスさんという不動産屋さんから「なにか描いてください。まったく宣伝マンガじゃなくてかまいません!」というご依頼をいただいたんですよ。話を伺ったところ、東京の東側を中心に物件を扱っているとのこと。じゃあその辺をブラブラするマンガを描きましょうか、となった次第です。
—— ということは、もともと根津界隈に馴染みがあったんですか?
妹尾 原作担当の小沢がそのあたり出身で、今もその辺に住んでいるというのはあります。
—— まさに地元民じゃないですか!
小沢 自分としては詳しい自覚もないし、いまも詳しいとも思ってないのですが、「ほんと詳しいですね」と言われることはしばしばあるので、もしかしたら詳しいのかも。とはいっても、地誌とかをがっつり読み込むような、ちゃんとした勉強はしてないので、あくまで、散歩のお供レベルの知識ですよ。
—— うってつけの企画だったわけですね。確かに作中にはいろんなウンチクがありました。小沢さんはいつ頃から街の歴史や地理に興味を持つようになったのですか?
小沢 うーん、いつだろ。たとえば、小学校のときの同級生のご実家がお寺さんだったりするんです。遊びに行くと、そこに彰義隊が撃った鉄砲の玉の跡なんかがあったり、ちょっと行くと夏目漱石や芥川龍之介が住んでたところがあったりとか、あー、この二人だけあげると森鴎外に悪いか。彼もご近所さんですね。
—— 子供同士の会話の中にそんな史跡や文豪の名前が出てきていたのですか?
小沢 そうそう。でも、史跡とか文豪、偉人っていうような大層な感覚はあまりなくて、地名に近い感じですよ。
—— 歴史のある街で育った幼少期、なんだか羨ましいです。
小沢 あとはドロケイ(小沢さんの地元地域では、ケイドロじゃなくてドロケイ)をやってたあたりが、徳川慶喜の墓所のまわりだったり。上野公園というよりは「上野の山」って呼ぶような距離感です。だから、幕末から近代の東京のあれこれは、あたらめて興味を持ったというより、普段の生活と地続きだった、というほうが近いかも。
—— 街歩きもよくされてたのですか?
小沢 そうですね。いまはこんな仕事なのでだいぶインドア生活ですが、学生時代はかなりの時間、外で過ごしていました。中学生になった頃から行動範囲が広がって、東京の東半分くらいを自転車だったり、徒歩だったりで、友達とうろうろしてました。真夜中に将門の首塚まで行って肝試しとか。ちょうど『帝都物語』も出始めたころだったので、妄想たくましく東京を歩いてましたね。
—— おお、すでにその頃から知識と散歩をつなぎ合わせて楽しんでいるじゃないですか。妹尾さんはそんな小沢さんから街のウンチクを聞いてどうでしたか?