明治、大正、昭和の文豪たちが描いた恋愛を分析してきた本書ですが、最後に特別編として、現役作家の小説を取り上げて締めくくりたいと思います。
というわけで、村上春樹の『ノルウェイの森』です。発売時、「100パーセントの恋愛小説です」というキャッチコピーが帯を飾ったことをご記憶の方もいるでしょうか。作品の基本的構図は、縦糸に主人公の恋愛、横糸に「死」があり、この両者を紡いだ物語とざっくり把握することができます。村上春樹本人は、『ノルウェイの森』は恋愛小説ではないと述べているようですが、主題の柱として恋愛があることは否定できません。
ハルキストには申し訳ないのですが、この小説は恋愛描写について突っ込みどころ満載です。もちろん、この違和感は1987年の初版後30年以上が経って読むから表出してくるものであって、作品で描かれている1960年代後半や、出版された1987年当時ではそれほど感じないものだったのかもしれません。あくまで現代では、ということです。
団塊の世代のラブストーリー
まずは時代背景からざっと見ておきましょう。主人公は「僕」=ワタナベ・トオルで、彼が大学生として都内の私立大学に入学し、和敬塾と思しき寮に入寮した1年生の春から、3年生の春くらいまでの物語です。年齢で言えば18歳から20歳で、1968年から1970年のできごとになります。逆算すると、主人公は1949年頃に生まれたことになるわけです が、村上春樹が1949年1月12日生まれなので、自身を投影していると見て間違いありま せん。1949年とは太平洋戦争が終わって4年後、同年に生まれた赤ちゃんの数はわが国の歴史上最多の269万人でした。現在では80万人程度の赤ちゃんしか生まれていませんので隔世の感があります。
つまり、第一次ベビーブーマー世代に生まれたのが主人公で、『ノルウェイの森』とは、 団塊の世代の青春ラブストーリーとも言えるわけです。
ワタナベが大学に通った時代、1960年代後半は、団塊の世代による全共闘運動がもっとも盛んだった時代でもあります。全共闘とは1965年から1972年までの間、安保改定とベトナム戦争反対を唱え、わが国に共産主義革命を起こそうとした人たちでした。もちろん小説中にも運動に参加している学生が登場します。
ただしワタナベは基本的にノンポリで、むしろ、当時の言葉を使えば「軟派」に属していた文学青年です。最近では「草食」 vs 「肉食」などといったりしますが、当時は「軟派」 vs 「硬派」という色分けであり、軟派とは、特段のイデオロギーをもたず、どちらかと言えば恋愛に興味をもっていた人たちの総称でした。街中で男性が女性を誘う「ナンパ」の由来で すね。
主人公ワタナベは、作中で二人の女子大生を好きになります。一人は自殺した高校時代の親友キズキの恋人だった直子、もう一人は同じ大学に通う緑で、この二人と関わる中で「死」と向き合っていくことになります。
直子は、神戸のミッション系女子高を卒業したのち東京の「武蔵野のはずれにある」女子大に進学しました。ワタナベとはキズキの自殺以来会っていなかったのですが、大学1年生 のときに中央線の車内でばったり再会し、以来デートをする仲になります。二人は、直子の誕生日に性的な関係をもつことになります。ワタナベは徐々に直子に恋愛感情をいだくようになるのですが、直子の方はキズキの自殺を引きずって精神的に病んでしまいます。その後大学を中退して京都の療養所で生活するようになったのち、最終的に自殺します。
他方、緑とワタナベは2年生のときに大学の講義で出会い、緑の方から話しかけたことで関係が始まります。実家は豊島区で書店を経営、雙葉高校らしき女子校を卒業したのち、ワタナベと同じ大学に入学しました。奔放な女性で、性的な表現を言葉にすることに躊躇はなく、ワタナベに対しては積極的に自分から話しかけます。緑には恋人がいますが、ワタナベとは3回目のデートでキスをし、その後彼氏と別れたのちにセックスをします。直子が自殺したのち、ワタナベが緑に「世界中に君以外に求めるものは何もない」と告白したところで 小説は終わります。
ワタナベがあまりにモテすぎる
主人公ワタナベが直子と緑に恋愛感情をいだいてゆくプロセスが克明に描かれますが、恋愛学の立場からこの本を読むと、いくつか違和感を覚えざるをえません。
1つめが主人公のワタナベがモテすぎる点です。大学生にこのようなモテ男がいないわけではありませんが、作者はワタナベがなぜモテるかについて明確にしていません。見かけはイマイチだと緑は言っていますし、孤独が好きな文学青年では女性をくどくテクニックがあ るとも思えません。東京では簡単にセックスできると間違った幻想を読者にいだかせてしまうに違いなく、出版当時、多くの男性を悶々とさせてしまったはずです。少なくとも、「うらやましい」と思った読者は確実にいたことでしょう。
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