サクちゃんへ
こんにちは。今日は京都は雨です。日に日に寒くなっていっていますね。
先日、いよいよ歯列矯正を始めました。上の両側の5番目の小臼歯を抜いて、まずは上側の歯に金属のワイヤーをとりつけたところです。一ヶ月後には、下の歯にもつけます。
これがまあもう、痛いのなんの。まず抜歯後の歯茎の傷が痛く、次にワイヤーでの歯の締め付けが痛く、そしてワイヤーが擦れてできる口内炎が痛い。口の中は傷だらけのてんやわんやで、今は柔らかいものをおそるおそる食べる日々です。
でもそんな食生活では気持ちが参ってしまうので、どうにか楽しみを見出せないだろうかと思い、このたびミキサーを買いました。バナナやりんごでスムージーを作って飲んでいます。今度は小松菜とか人参にも挑戦してみるつもりです。もしかしたら以前よりも健康的になるかも。どんな境遇でも、楽しみを見出そうとするのは大事ですね。
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サクちゃんの前回の「きれい」論、とってもおもしろかったです。
“わたしが「この人はきれいだなあ」と感じる人は、自分をいきいきとさせている人です。そういう人たちは、自分がどうあると快適でのびのびいられるかを、自分自身がよく知っています”
「きれい」イコール「自分が快適であること」。なるほど、確かにそうだなぁと思いました。
サクちゃんの日記を読んで思い出したことがあります。
ある占い師さんが書籍の中で、「『運がいい』とはどういうことなのか?」ということを書いていたのです。
彼は、「運がいい」とは「自分らしくいられるとき」であり、「自分らしくいられるとき」とは「自分の欲望が満たされているとき」である、と書いていました。
わたしはそれを読み、「なるほどなぁ」と納得しました。確かに「今わたしツイてるな」と思うときって、自分がやりたいことができているときなんですよね。スムーズに事が進んだり、嬉しいお誘いをもらったり、臨時収入があって欲しいものが買えたり。
でもそれは、わたしが望んでいるから「ツイてる」と感じるのです。もし望んでいなければ、厄介ごとにしか感じない可能性だって、大いにあります。
だからその占い師さんは、さまざまな欲を持つと良い、と書いていました。そうすれば、いろんな状況で「自分らしくいられる」から。
たとえば簡単に言えば、仕事がたくさんあるときには、物欲や金銭欲を持ってばりばり稼ぐ欲を持つ。逆に仕事が少ないときには、自分の作りたいものを作る創作意欲を持ったり、家族や友人とゆっくり過ごす欲を持つ。そんなふうに目の前の状況に応じて、自分の欲を変更すればいいということでした。
わたしはこの本を読んで、「つまり、どんな状況でも楽しめた者勝ちってことかな」と思いました。そういう人は、常に自分のことを「運がいい」と思える。逆に、自分の幸せはこれだと決め打ちしてしまうと、それ以外の状況に陥ったとき「運が悪い」と判断してしまいます。
つまり、解釈の問題だということ。ひとつの解釈しかできないとこの世は白か黒かでしかありませんが、さまざまな解釈ができるようになると、とたんにこの世はカラフルになります。
赤には赤の、青には青の、ペールグリーンにはペールグリーンの良さがある。さまざまな「自分らしさ」・さまざまな欲を持つって、要はさまざまな解釈ができるようになり、さまざまな価値を見いだせるようになる、ということなのでしょう。
これはまさに前々回わたしが書いた「たくさんの目を持つこと」そのものです。
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サクちゃんは前の日記で、お父さんやお母さんにかけられた「言葉の呪い」について書いてくれましたね。わたしにも呪いをかけられた経験は結構あって、そのうちのいくつかは容姿に関することでした。言った人たちにとっては戯れだったのかもしれませんが、言われた方にしてみれば、何十年も引きずるほどのことです。
ただ、呪いを解いてくれた人もいます。
そのうちのひとりは、高校生の頃、わたしの髪の毛を切ってくれていた担当の美容師さんでした。彼女に言われた言葉は、今でも忘れられません。
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