ラファエッロ・サンティ 《アテネの学堂》 1509-1510年 フレスコ ヴァティカン宮殿
ラファエッロ・サンティ[Raffaello Santi: 1483-1520]はイタリア・ルネサンスの画家・建築家。中部イタリアの都市ウルビーノに生まれ、フィレンツェやローマで活躍しました。やわらかい表情をした聖母子像の数々や、《アテネの学堂》をはじめとするヴァティカン宮殿の装飾などで知られています。古典的かつ優美なスタイルを確立し、美術アカデミーにおいてはその後数世紀にわたって模範として参照され続けた人物です。
ラファエッロ・サンティ 《システィーナの聖母》 1513-1514年 カンバスに油彩 アルテ・マイスター絵画館所蔵
今年2020年はラファエッロ没後500周年のメモリアル・イヤー。このタイミングに合わせてローマでは大規模なラファエッロ展が開催されました。残念ながら新型コロナウィルス感染症流行の影響を受けて、その開催規模はだいぶん小さくなってしまったのですが……。前回取り上げたミケランジェロが長生きだったのに対して、ラファエッロはかなり早い時期に亡くなっています。享年37歳。まだまだこれからキャリアを積んでいく時期にあっただろうに、残念なことです。
恋人への思いが強すぎて、仕事に身が入らない……
ミケランジェロのイメージ形成で大活躍した16世紀の伝記作家ジョルジョ・ヴァザーリは、もちろんラファエッロの伝記も残しています。ヴァザーリの語るラファエッロはたいへんな紳士です。彼はこの画家の作品のみならず人となりまでもベタ褒めして、ラファエッロと一緒に仕事をすればどんなプライドの高い画家も協調性を発揮し、人間だけでなく動物までもが彼に敬意を表した(!)と述べています。ついにヴァザーリは「ラファエッロの後に残された我々画家は、彼の模範が残してくれた良き流儀、いな、最良の流儀を模倣していかなければならない」とまで主張するのです。
まるで完璧な優等生のラファエッロですが、ヴァザーリは同時に、ラファエッロが非常に女好きだったことについても記述しています。たとえば、以下のようなエピソードがあります。これは、現在もローマのヴィッラ・ファルネジーナに残る壁画《ガラテアの勝利》を描いたときの話です。
ラファエッロは惚れっぽく女好きな性格で、いつも女性たちに奉仕することをいとわなかった。愛の悦楽に事欠かなかった彼は、そのために友人たちから尊敬と好意を——おそらくいささか不穏当なまでに——勝ち得ていた。実際、仲の良い友人だったアゴスティーノ・キージが自邸の第一開廊(ロッジャ)の装飾をラファエッロに依頼したとき、ラファエッロはある恋人への情愛ゆえに、まったく仕事に身が入らない有様だった。困り果てたアゴスティーノは、人を使い自分自身も手を尽くして、ラファエッロが仕事をしている場所にいつもこの女性が一緒にいてくれるよう取り計らった。そのおかげで、この装飾はなんとか完成を見ることができたのである。
ラファエッロ・サンティ《ガラテアの勝利》 1512年 フレスコ ヴィラ・ファルネジーナ
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