(前回からのつづき)
テストステロンとドーパミンから考える河合とナオミの相性
「テストステロン」と「ドーパミン」
——この2つを踏まえ、河合とナオミの性格描写に気を配りながら『痴人の愛』を読むと、二人の相性の悪さがきれいに浮き彫りになります。
まずテストステロンでいうと、河合のそれは少なく、ナオミの方が多いのは明らかです。河合は「女道楽」をしませんし、「質素で、真面目で、あんまり曲がなさ過ぎるほど凡庸で、何の不平も不満もなく日々の仕事を勤めている」堅実タイプの理系男子。さらに職場では 「君子」という評判があったくらいですから、チームワークという意味でも模範的な会社員でした。
ナオミを囲いたいという考えは大胆ですが、そもそもの発端は「この殺風景な生活に一点の色彩を添え、温かみを加えて見たい」という動機に根差しているので、あくまで内向的で す。したがって、河合のテストステロンは少なく、男らしくはなくとも「優しい系」のマイホームパパになる男性だと言えます。
一方、ナオミは真逆の性格です。河合を支配したい欲求が強いことは前述の馬乗りの例で明らかであり、ほかの場面でも顕著です。たとえば「驚くほど強情で、始末に負えないたち」で、最後はいつも河合が「根負け」してしまうと描写されています。ナオミは「空威張りの負け惜しみ」でもあり、生来の負けず嫌い。兵隊将棋やトランプをしても「勝負事では自分の方がずっと強者だ」と思い込んでいる点や、勝つためなら手段を選ばない点でもテストステロンが多いことがわかります。さらにナオミは「意地ッ張り」で、「つまらないことでふいと喧嘩になっちまうと、もう取り返しがつきません」と、不倫相手の浜田も嘆くほどです。
したがって、前出の図6-1でいえば河合のテストステロン値は低く、ナオミは高いということなので、夫婦関係では③になることは必定です。ナオミが家庭で主導的な役割を果たし、河合はそれに従属します。何をする、どこに行く、お金をどう使うといった決定権はナオミにあり、河合はしぶしぶそれに従うという夫婦関係になってゆくのです。馬乗りのシーンではナオミが「これから何でも云うことを聴くか」と問えば、「うん、聴く」となるし、「あたしが要るだけ、いくらでもお金を出すか」では、「出す」であり、さらに「あたしに好きな事をさせるか、一々干渉なんかしないか」と問われれば、答えは「しない」となります。 二人のテストステロンが、この主従関係に大いに影響していることの証左です。
次に、河合とナオミのドーパミンレベルですが、こちらも読めばすぐにわかります。河合の趣味は「私の娯楽と云ったら、夕方から活動写真を見に行くとか、銀座通りを散歩すると か、たまたま奮発して帝劇へ出かけるとか、せいぜいそんなものだった」とあります。また 「突飛なことは嫌い」で、「呑気なシンプル・ライフ」を望んでいます。「田舎育ちの武骨者」 で、しかも「品行は方正」ですので、ドーパミンレベルは低く、完璧なインドア派です。
一方のナオミは、ドーパミンが際立って多い。交友関係が広く、人を自分の家に招き入れるのが好きなパリピ的傾向が多々見受けられることに加え、移り気です。習いごとも、音楽や英語からはじまり、そのうちダンスに興味が移っていますし、不倫においても、1つの関係に新鮮さを感じなくなってくるとすぐに別の男に向かっています。
それでは、ドーパミンが多いナオミがどうして河合に興味をもったのかという疑問がわくかと思います。しかし当時のナオミとしては、経済力のある河合が新しい世界に連れ出してくれることに興奮を覚えたでしょうし、ナオミの収入では不可能な体験をさせてくれるメリットも存在したのです。当然、1つの興味が薄れると次の刺激を求めたりはしましたが、同棲当初までは、それなりに楽しい日々だったはずです。
しかしその後の夫婦関係でいえば、ナオミがアウトドア派で河合がインドア派ですから、ナオミが外で遊ぶようになり、河合が自宅でナオミの帰りを待つ関係になるのは避けられない事態でした。
したがってドーパミンの観点からは、二人の関係は理想の夫婦から程遠いところに位置していると言うほかありません。しかし、河合はナオミの肉体に魅せられているので、ほかのすべてのものを犠牲にしても、関係を断つことはしませんでした。たしかに「稀有な夫婦関係」です。
このように、テストステロンとドーパミンの多寡の観点から性格の相性を紐解くと、河合とナオミの関係も把握できますし、わたしたちの人間関係にも応用することができます。サドかマゾかといった二元的な関係性よりもずっと奥行きのある分析が可能となります。
耽美主義の行きつく先
ドーパミンの見地から二人の相性が悪いとしたら、この夫婦関係はいつまで続くのでしょうか。将来を予測してみたいと思います。
そこで役に立つのが「恋愛均衡説」です。恋愛均衡説は、第3章の『友情』で、野島、杉子、大宮の三人の関係を知るために援用した考えでした。ここでのポイントは、恋愛関係においてはわたしたちに「魅力度(商品価値)」があり、恋人や夫婦におけるお互いの魅力度は、おおむね均衡しているという点でした。
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