「もう終わりにしていいですか」
彼女はバッグからカミソリを取り出し、突然自分の手首を切りました。私はとっさに彼女の頬を打ち、彼女はカミソリを落としました。幸いにして、大きな傷ではありませんでした。今から一〇年ほど前のことです。
彼女は、親に連れて来られた高校生でした。受験に失敗し、そしてつきあっていた年上の彼氏にも振られ、うつ状態、ノイローゼのような状態になっていた。「もう私なんか生きている意味がない」と、何度も自傷行為をして、自殺を図り、拒食と過食を繰り返していました。
なす術を失っていたところに、お母さんが私の噂を聞いて、はるばる東京から愛知県の福厳寺へ相談にいらっしゃったのでした。私の行動が予想外だったのでしょう、彼女はそれ以上興奮することはなく、ただ静かに泣いていました。
彼女の心と体は、完全に乖離(かいり)していました。心が暴走していたのです。誰にでも、死んでしまいたいと思うことはあります。私にもありました。自殺を図って、手首を切る。それが致命傷になれば、命を断つことはできる。確かに彼女の心は死にたいと思っているかもしれません。
でも、考えてみてください。体は死にたいと思っているでしょうか? 包丁で指を切ってしまっても、転んでひざを擦りむいてしまっても、その瞬間から、その傷の懸命なる修復作業が始まります。血液が固まり、かさぶたができ、傷が癒(い)えていく。そう、私たちの都合や気持ちとは関係なく、体はいつも全力で生きようとしているのです。
自分の心、つまり気持ちばかりを優先して、体の声を聞こうとしなければ、いつの間にかこのような乖離が起きてしまいます。私が彼女に手を上げてまで伝えたかったことは、そのことです。その瞬間に、私は気づきました。
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