『痴人の愛』は、谷崎潤一郎が男女の関係を「私小説」ふうにつづった長編小説です。この作品は男女の性格や行動を非常に細かく描写している点でほかの小説と一線を画していて、この観点に立てば近代文学の最高傑作の1つと言えるでしょう。本書でもいろいろな名作を取り上げていますが、この『痴人の愛』の恋愛心理描写の緻密さは、漱石の『こころ』に匹敵するレベルです。
『痴人の愛』は関東大震災の翌年の1924年から連載され、翌1925年に一冊の書籍として出版されました。小説に登場するナオミが自由奔放な魔性の女であったことから、このような女性を称して「ナオミズム」という言葉が生まれたくらい大ヒットした作品です。
何人もの男を次々と虜に
主人公は河合譲治という男性です。のちに妻となるナオミ(本名は奈緒美、登場時15歳)に出会った当初は28歳でした。小説の最後の一文で「ナオミは今年二十三で私は三十六になります」とあるので、8年間のうちだいたい5年間の恋愛と結婚が書かれた物語ということになります。
河合は電気会社の技師で、蔵前の高等工業(現在の東京工業大学)を卒業した、かなり高給取りのビジネスマンです。非常にまじめな理系男子ですが、風采は上がりません。本人曰く「男振りに就いての自信がない。何しろ背が五尺二寸(158センチ)という小男で、色が黒くて、歯並びが悪くて」とありますので、たしかに見た目の魅力は乏しいようです。趣味といえば映画鑑賞くらいなもので、女道楽をしないことから会社でのニックネームは「君子」でした。
8年前、ナオミは浅草雷門近くにある「カフエエ・ダイヤモンド」というお店でウェイトレスをしていました。河合はこの店に立ち寄った際にナオミを見初めます。顔立ちがハーフのような「陰鬱な、無口の」少女で、「悧巧そう」にも見えました。河合は(映画『マイ・フ ェア・レディ』のように)ナオミを教育して、「朝夕彼女の発育のさまを眺めながら」将来自分の妻にしたいと妄想します。その後一緒に映画に行ったことをきっかけに、二人で会う仲になります。ナオミが英語と音楽に興味があるということで、河合は習いごとの月謝を負担する代わりに、仕事を辞めて自分と一緒に住まないかと誘います。ナオミは了承して、二人は大森にある一軒家で同棲を始めます。
最初は友だちのような関係だったのですが、1年後には肉体関係をもち、正式に入籍もして夫婦となりました。
ところが、ナオミは掃除をしません。料理もしません。それでいて、何がほしい、どこに連れていってほしいと要求ばかりする、傲慢でわがままな女でした。さらに、英語の勉強をしてみたところ、頭の回転の悪さや理解力の乏しさも露呈します。その反面、彼女の肉体は期待以上に成熟しており、河合はすっかり虜になっていきます。
18歳のとき、ナオミは慶應義塾大学の学生である浜田に誘われ、ダンス教室に入りたいと言い出します。ナオミが懇願するので河合も一緒に通うことになりますが、やがて河合は、ナオミが熊谷政太郎(まアちゃん)という同じく慶應の学生で、「マンドリン倶楽部」というオーケストラに所属する男とも親しい仲であることを知ります。
実は、ナオミは独身を装って浜田や熊谷だけでなく、複数のマンドリン倶楽部のメンバーと肉体関係をもっていたのです。河合が問い詰めるとナオミは不倫を認め、今後は浜田や熊谷と会わないと誓ったので、口惜しいと思いつつも許すことにしました。とはいっても、河合との関係はギクシャクしたままで、以前の夫婦関係には戻りません。
もう不倫はしないと約束したナオミでしたが、実際には熊谷との関係を断っておらず、近くの旅館で密会していました。怒った河合は、ナオミを追い出します。
一時はナオミがいなくなって清々したものの、河合は急激に寂しさを覚え、未練が募っていきます。連れ帰ろうとしてナオミの実家に行きますが、ナオミはいません。どうやら男の家を転々としているらしいことを浜田の口から知らされ、ほとほと呆れた河合は、もうきれいさっぱりナオミのことを忘れようと決意します。
数ヵ月経った後、突然ナオミが大森の河合宅に荷物をとりに現れました。その後も毎晩のようになにかしらの口実をつくって訪ねてきますが、そのたびにこれ見よがしに妖艶な姿態を見せつけ、河合を翻弄します。河合は徐々にナオミのペースにのせられる形でその肉体美に屈服させられ、結局よりを戻してしまいます。
再び結婚生活を始めますが、すべてはナオミの言いなりです。ナオミは以前にもまして不倫し放題な日々を送るのですが、河合はすべてを甘受する道を選びます。
果たしてマゾヒズムなのか?
谷崎自身が冒頭に書くように、一読したところ「あまり世間に類例がないだろうと思われる」夫婦関係です。男性のわたしとしては、ナオミとはどんなに素敵な肉体美をもっている女性なのか見てみたいと思ってしまいます。
『痴人の愛』は私小説だと書きましたが、当然ナオミにはモデルがいて、それは出版当時の谷崎夫人であった千代子の妹、小林せい子でした。せい子の写真は1922年7月号の『婦人公論』に載っていますが、それを見る限り、たしかにハーフのような顔立ちの美人です。
作者である谷崎潤一郎は、耽美派を代表する小説家です。耽美派とは、芸術作品において美を至上のものとして極限まで追求する創作姿勢を指します。限りなく美を求めるわけですから、一般常識や道徳や倫理といったものと齟齬や軋轢が生じることもあるわけで、その結果、わたしたち読者の眼には、退廃的、反道徳的、破壊的、さらには変態的にさえ映る場合があります。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。