蘭ちゃんへ
こんにちは!
ステイホームが推奨されてから半年、先日出張で新幹線に乗って地方に行きました。物理的に家から離れ、知らない慣れない土地に滞在して、ああ足りなかったのはこれだなあと感じました。
自宅にいながら仕事もできるし友人とのおしゃべりもできても、自分のいる枠はせまくて、動かないことでどんどんかたまっていました。徒歩圏内から遠くに飛び出すと、その枠を一時的にも広げることができます。広い枠の中の自分はちいさく、それを感じることができると、また日常に戻っても枠が柔らかくなっているような気がします。かたく狭くなった枠のストレッチが必要だったんだなと実感しました。
蘭ちゃんに会いに、京都にも行きたいなー!
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前回の日記の、サンリオグッズを買いに行った話、すごく好きでした。なんだかわたしまでうれしくなったよ。買えてよかったね。
自分がよろこぶ「自己満足の領域」が「鬼コーチの目の届かない死角」という感覚なのがおもしろいなと思いました。鬼コーチ、幅をきかせすぎ。
わたしの中には鬼コーチはいないものの、同じように「自己満足」の時間や行動は、意識して取らないと、許可してあげないと、ついおろそかにしてしまいます。
わたしにとっての「自己満足」は、好きなものを食べることです。「食べる」というのはわかりやすく「満たす」行為です。いくら自分が食べても他人を満たすことはできないし、おいしいという感覚は自分ひとりで感じるものです。
最近は、毎日の朝ごはんに果物を食べています。スーパーや果物屋さんでその価格に毎回躊躇しながらも(果物って高価よね)、朝目が覚めたときに「冷蔵庫にぶどうがある」と、うれしい気持ちで起きるために、自分をよろこばせるために準備しておきます。
蘭ちゃんが、子どもの頃から本当はほしかったサンリオグッズを大人になってから手に入れたのと同じように、わたしにとって「好きなものを好きなときに食べる」というのは、大人になってから手に入れたものです。
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子どもの頃は、食事の時間が苦痛でした。自宅での食事も、学校の給食も、好きな時間ではありませんでした。
学校給食では毎日牛乳が出されました。当時は食べ残してはいけない制度だったので、牛乳が苦手で飲めないわたしにとって、給食は毎日イヤなものを無理やりガマンして飲まないといけない苦しい時間でした。どうしても飲めなくて、掃除の時間になってもひとりで机に残って食べ続けることもしばしばでした。
自宅での食事で思い出すのは、いつも怒るようにやっつけるように料理をしていた母の姿です。働いて帰ってきた母にとって、食事を作ることがとてもしんどかったのだと思います。今ならその気持ちもよくわかりますが、「こんなに疲れているのに作ってあげた」ものを食べるのは、子どものわたしにとっては「おいしさ」よりも「申し訳なさ」を感じていたように思います。
また、わたしは食べるのが遅くて時間がかかる子どもだったので、食事中によく「まずそうに食べるな」「はやく食べろ」と言われていました。もちろん嫌がらせをしてわざと食べるのを遅くしているわけではないのだけど、努力して早くたべないといけない、作った人を不快にさせないようにしないといけない、と、食事の時間は「気をつかって頑張る時間」になっていたような気がします。
クリームシチューのCMのようなほっこり食卓はファンタジーで、実際のバタついた日常ではよくある光景かもしれませんが、ともかく、子どもの頃は、食べる楽しみとは縁遠かったのです。
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食べることが苦痛から楽しみに変えられるまでには、すこし時間がかかりました。
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