不倫を考察する二作目として、太宰治『斜陽』を取り上げます。『蒲団』が1908年の作品であるのに対し、こちらは1947年に出版されていますので、一挙に40年近く新しくなり、時代は大正から昭和に移ります。
最初に指摘しておきますと、『斜陽』は純粋な恋愛小説ではありません。テーマとしているのは、タイトルどおりわが国の上流階級の没落です。その裏側には共産主義を礼賛する思 想がからんでいて、政治色を感じさせる小説でもあります。これまで十分に知ることのできなかった上流階級の没落を描いた小説ということでセンセーションを巻き起こし、「斜陽族」という流行語が生まれたほどでした。
必読の書、と言いたいところですが、『斜陽』に登場する旧華族のような人たちには現在ではほとんどお目にかかれませんし、若者が「革命」に身を投じた時代も遠い昔なので、時代遅れの小説である一面も否定はできません。決して美しい文体というわけでもないので、文学的な格調もほかの文豪に比べて見劣りします。ただし、恋愛とくに「浮気市場」を理解するうえで、非常に役立つ描写がありますので、ぜひ参考にしていただければと思います。
戦後間もない時期の女性を描いた小説
主人公は、「私」=かず子(29 歳、バツイチ、子どもはいないが死産の経験あり)です。時代は1945年、終戦の年です。
戦前に華族の家に生まれたかず子は、すでに父親を亡くしていて、母親と二人で暮らしています。戦後になって二人は西片町(現在の東京都文京区。東京大学のそば)の家を売り、1945年12月に伊豆の山荘へ引っ越します。ほかの家族に直治という弟がいますが 、学徒出陣で戦争に召集されたまま消息が途絶えています。
「おひめさま」のかず子と「最後の貴族」としての誇りをもつ母親は、慣れない畑仕事をしたり、生活のために高価な着物や装飾品を売ったりして日々を生きています。「庶民」として生きる難しさを実感しつつも、徐々にそうした生活にも慣れていきます。
そんな中、安否が不明だった弟の直治が南方から帰還し、一緒に住み始めます。しかし、昔からかず子は直治を快く思っていません。直治は麻薬中毒の放蕩息子であり、帰還後は酒に溺れ、母親やかず子から金をせびり、東京に出ては遊び歩くというすさんだ生活を送ります。その遊び相手の一人が小説家の上原二郎でした。上原は既婚者で、妻と娘がいます。
かず子が上原と出会ったのは、薬屋への借金に困った直治が、上原さんのところにお金を届けてほしいと懇願したことからでした。自分の目で上原という男を確認しようと訪ねますが、初めて会った帰り道に突然キスをされたことで、上原との間に「ひめごと」ができてしまいます。このキスをきっかけに上原のことが気になってしまい、しだいに好きという感情にまで育ってゆきます。それは前夫との離婚の原因になってしまうほどでした。
病気がちな母親をかかえ、不良の直治と同居するかず子は、不安な日々を過ごします。そ んな感情もあってか上原への想いはさらに募り、自分の恋心やつらい立場をわかってもらい たく、かず子は上原に手紙を書きます。ぜんぶで3通の手紙でした。そこでかず子は上原の子どもがほしいと訴えます。しかし返事はありません。意気消沈し、上原との関係に悶々と する日々を送りますが、共産主義に関する本を読んだかず子は「恋と革命のために生れて来た」という思いを強くし、自分を励まします。
一方で母親の病状はさらに悪化し、ついには亡くなります。放蕩を続ける直治と二人きりになったかず子は、ますます上原への恋愛感情を募らせ、思いきって上原に会うため上京します。6年ぶりの再会でしたが、上原は以前の上原とは違っていました。「蓬髪は昔のままだけれども哀れに赤茶けて薄くなっており、顔は黄色くむくんで、眼のふちが赤くただれて、前歯が抜け落ち、絶えず口をもぐもぐさせて、一匹の老猿が背中を丸くして部屋の片隅に坐っている感じであった」と。ところがそう感じたにもかかわらず、その夜にかず子は上原と肉体関係をもってしまいます。
ちょうど同じの夜の明け方、弟の直治が自殺しました。直治は遺書を残していて、その中 でスガちゃんという洋画家の妻の女性が好きだったと告白します。
一人になったかず子は、直治の自殺から1ヵ月後、上原に最後の手紙を書き、上原の子どもを妊娠していることを明かします。「古い道徳を平気で無視して、よい子を得たという満足がある」と。そして「こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成」と、シングルマザーとして子どもとともに生きていくことを宣言します。
『斜陽』の時代背景と意義
よく知られた話ですが、直治や上原と同じように、太宰自身も退廃的な日々を送る「不良」でした。薬物中毒にはなるわ、せっかく入った東京帝国大学を中退するわ、不倫を何度 もするわ……。あげくに自殺未遂を4回も繰り返し、そのうち1回など相手の女性は亡くなり自分だけ助かるという有様です。その乱行 ぶりは、1935年に太宰の「逆行」と「道化の華」が芥川賞候補になった際、選考委員の川端康成から、「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」と私生活を咎められ受賞を逃すほどでした。
そんな太宰ですが、実家は青森県の大地主で、その生まれ育った裕福な環境を『斜陽』の モチーフに使ったとされています。小説中のかず子の生家は華族で、1869年に誕生した日本の貴族の一員でした。華族のランクは「公」「侯」「伯」「子」「男」と5階級に分かれ、かず子の父親もこのどれかに属していたわけです。このような華族制度は1947年の日本 国憲法の公布とともに廃止となりましたが、同じように太宰の実家も、GHQによる同年の 農地改革によって没落します。したがって「没落貴族」とは、戦後の変革期の重要なテーマであったわけで、だからこそこの作品がベストセラーになったとも言えます。
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