※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。/バナー写真撮影:田中舞 着物スタイリング:渡部あや
毎週水曜朝10時、「ハッピーエンドに殺されない」。読者の皆様からおたよりをいただき、上からアドバイスはしないけど隣で一緒に考えていく人生相談の連載です。
他者が「これこそハッピーエンドやぞ」と押し付けてくる幸せのかたちに押し込まれずに生きるにあたって、オタクであることって強みだと思ってるんですよ。ハッピー自給できるからね。妄想して、絵でも文でも自分で創作して。
だけどオタクカルチャーってオタクカルチャーという強酸性の沼を各地にぽこぽこしっかり形成しているので、特にインターネットオタクカルチャーに浸かっているといつの間にか自分の言葉を溶かして無くして溶け合ってしまう危険性もあるんですよね。10年前にみんな『銀魂』みたいなしゃべり方してた現象みたいな。「ってオイィィィィ!!!!」。
それはそれでいいんですよ。そうやって誰も彼もみんなオタクっぽいしゃべり方、“一般人”にはわからない(と思える)しゃべり方をすることで「すごい一体感を感じる」ことができるのもオタク文法の良さだからね。
だけど「根本的に自分なんか嫌いだし消えたい」感情がオタク文法を介して発せられている状態だと、マジで、こう、「オタクのみんなが使っている言葉をツイートすれば自分もオタクという強酸性の液体に溶けて形をなくすことができるのでは」的自己消滅ムーブになるじゃん。それでは、なんて言うかな、せっかくのオタクとしての想像力とか創造力までも溶かしてしまうことになると思うんですよね。
今回ご紹介するのは「夢女子です。つまり、とあるキャラクターとの恋の夢を見続けています。が、こんな自分を好きになる推しなんて推しらしくない」みたいな、「自分の中で自分との解釈違いを起こしている」みたいなことになっている有様についてのおたよりです。レッツ解剖〜。
初めまして。少し前、ふとTwitterで記事が目に留まってから、楽しく拝読しております。 もしよろしければ、私の悩みも聞いていただけないでしょうか。好きなキャラクターに対する感情のあり方について、折り合いをつけたいのです。
私は新社会人です。中学生の頃から、もう10年ほどオタクをやっています。所謂自己投影型の夢女子というやつで、この三次元には概念としてしか存在しないキャラクターのことを恋愛的・性的に好きです。……だと思っていました、最初の数年くらいは。
今は、好きは好きでも単なる消費なのだと、思っています。自己肯定感の低さも相まって、常にふたり以上の自分が互いに戦っています。「私は◯◯のことが好きだしあわよくば◯◯も私を好きでいてくれれば嬉しい」「いやいや、こんな私を好きな◯◯なんて私の思う◯◯ではないから絶対に嫌だしそもそもそんなことはありえない」、こんな感じです。97%くらいは後者が勝ちます。 キャラクター解釈なんて言えば聞こえはいいかもしれませんが、私が気持ちよくいるために我儘を押し付けているだけです。不健全で独り善がりで醜いと思います。
一方で、上の段落でどうのこうの言ってるほとんどすべてを否定したい自分もいます。しかしやっぱり、また後者の自虐的・露悪的な自分が出てきて「そう思いたいだけじゃないの?」とか言ってきて、負けてしまいます。
もうずっと便宜上好きとは言うけれども時々好きと言うことにすら不安を感じる、というような状態です。なんとか、こんなことで悩まなくてよくなりたいのです。
お誘いします。
一度、インターネットから離れた思想形成をしましょう。
おたよりからお言葉を拾いますね。「感情」「概念」「夢女子」「消費」「自己肯定感」「解釈」…………ものの見事にフルコンボでインターネットオタクワードじゃん。強酸性の沼に溶けていらっしゃる。
いや、いいんですよ。トレンディオタクワードを履修しておくことも、Twitterでしか話さない友達と話すときとか、Twitterでバズりやすい文法に合わせてツイートするときとか、「わたしは界隈の人間ですよ〜」感を出しながら誰かに話しかけるときとか、非常に有用だからね。共通語としてのオタク用語を履修しておくのは悪くないことです。
が。
それ、あくまで共通語なんですよね。
なんていうのかなあ、「自分の言葉はダサいし恥ずかしいし笑われる」って思い込みながら東京都区内の社会人言葉に合わせている状態に似てると思ってて。やっぱ、オタクのみんながしゃべってる「姉ムーブ!!!!クソデカ感情!!!!!!」みたいな共通語でしゃべってる時って、コミュニケーションが取りやすくなる代わりに自分のソウルはこもらないんですよね。自分が置き去りになってる状態なのに変に馴染めてしまうから、どんどん、自分が何を考えているのかわからなくなっていく。
むしろ積極的に、「自分を置き去りにしたい」とすら考えているんじゃないかと思うんです。溶かしてしまいたいんだよね、きっと。自分を、沼に。わたしはねえ、わたしでなんかいたくない時に「わたしたち」をやっていましたよ。
「"わたし"でなんかいたくない、から、"わたしたち"になりたがる」
この感じ、たぶんあらゆる地下サブカルチャーコミュニティで似通ってるんじゃないかな。オタク。バンギャ。ドルヲタ。ヤンキー。ヒッピー。パンクス。語弊を恐れずにもっと言うと、各種陰謀論とか過激政治思想とかカルト宗教とかにも、こういう「溶け込み消滅同一化願望」とでも言うべき願いを奥底に澱ませた人たちがいるんだと思う。「"わたし"でなんかいたくない、から、"わたしたち"になりたがる」。消えたい。けど、消えるのは怖い。だから——溶け込みたい。オタクの言葉でしゃべりつづけて、「わたし」をやめて、「オタク」になりたい。
「感情」 「概念」 「夢女子」 「消費」 「自己肯定感」 「解釈」 「感情」
……なんかたぶんね、いいかげん10年オタクやって、あなたはたぶん、新しいあなたになってゆくのに十分なエネルギーをオタクカルチャーから吸収したんだと思うんですよ。あなたは、あなたがあなたに許せなかったことを、やっとあなた自身の力で許そうとしているんだと、わたしは思う。
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