私は今までの人生で、人から
「明るいねー。」
と、少なくない回数言われて来ました。
名前が「陽子」で「太陽のように明るく元気な子に育ちますように」という願いが込められていたかどうかは怪しいですが、
その印象にも引っ張られているのか・・・。
「よく笑う。」
「人を明るくする。」
とも言われます。
そう言われたとき、私は「違和感」を覚えます。
なぜなら自分では自分のことを全くそんな風には思っていないからです。
「暗い」まではいかなくても、「明るくはない」と自覚しています。
よく笑うのは無意識ですが何となく笑っておけばその場が和むから的に自然とそうなっているのかも知れないとすら思います。
家では暗いかも。誰でもかな。
うちは夫がバラエティ番組などにも出演するタイプの役者なので、よく
「生瀬さんて、家でも面白いの?」
と聞かれます。
そんな時は、
「いや、家では寡黙です。」
と言うと、冗談だと思われているのか笑われます。
ほんまなんやけど・・・。
人の印象って自分が思っているものとは違うんだなぁと思います。
「こう見られたい」という感情もそこには入ってくるのかも知れませんが、私は「明るい人と思われたい」と思ったことはありません。
が、関西出身者にありがちな「声が大きい」は自覚しております。
なぜなら昔から(大阪の学生時代から)みんなで騒いでいたら「必ず私だけが怒られる」からです。
学生時代、5人くらいで喋っていても先生から、
「ほーりーもーとー!うるさい!」
と、まるでそのグループの代表者のようによく怒られたものです。
つい最近も2回(?!)、レストランで怒られました。
1回目は保護者会帰りに久しぶりにママ友達とお茶をした時、4人で話していて、
「お客様、ちょっと声の大きさを下げていただけますか?」
と自分よりもはるかに若い店員さんに注意されましたが、確実に最初の目線は私でした。
2回目は友達と2人でランチしていたときに
「他のお客様もいらっしゃいますので・・・。」
と・・・。
ランチ写真、なぜか写真を撮るというと料理を寄せてくれるママ友たち
新しい生活様式にみんなが慣れてきて、ランチなんかは一人でとる女性も多く、喋る時も小声で、と意識されている方が多くなって私の盛り上がってきたときのテンションの高さがより際立ってしまうのでしょうか。
しかしながら、今はまだまだコロナ禍。
いくら久しぶりでも、興味深い内容の話でも静かに話すのが新常識の世の中で、このようなお叱りを受けるといつも以上に、申し訳ない気持ちになります。
大人なのに・・・。
「静かに笑う」のって難しいけど、きっとこの状況が急速に収束することはないので、その「技」を習得しなければ・・・。
でもやはりこういうところが「明るい」印象を与えているのかなぁ。
「明るい失敗」は他にもあります。
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