すべてをこなすファッションデザイナー spoken words project 飛田正浩とは何者か?

cakesとファッションブランドspoken words projectのデザイナー飛田正浩さんが組んで、今月からある連載がスタートします! 始めるにあたって、飛田正浩とは何者なのか、spoken words projectというブランドをご存知の方もそうじゃない方も知っていただきたく、インタビューを行いました。世界中のどこにもいない、すべてをこなすファッションデザイナー・飛田正浩さんのインタビューを全3回でお届けします。

服を作ってくれた母、服を切ってしまった父

— 今回新しくspoken words projectの飛田さんとcakesで、今までになかったタイプの連載をさせていただくにあたり、飛田さんがどういう方なのかをお伺いしていきたいと思います。まず、飛田さんはどんなきっかけで服に興味を持ったんですか?

飛田正浩(以下、飛田) 小学校3、4年だったと思うんですが、テレビに出ている西城秀樹やフィンガーファイブみたいになりたいって言うと、母親が似た服を作ってくれたんです。

— 西城秀樹はパンタロンですよね。フィンガーファイブってどんな衣装でしたっけ?

飛田 ジャンプスーツにネッカチーフとサングラス、というイメージだったかな。母親は文化服装学院出身で、ボタンをつけたり裾をあげたりする仕事をしていたんですよ。カツラやサングラスまで付けさせてくれるので、友達の前に出るとみんな面白がってくれるんですよね。

— 友達にも見せていたんですか。

飛田 それで学校に行ったこともあります(笑)。兄がいるんですけど、出かけるときはお揃いでよそ行きの服を作ってくれてましたね。半ズボンだったり、毛糸で編むセーターにイニシャルが入っていたり。

— おお、なんでもできるんですね。

飛田 なんでも作ってくれましたね。 で、高校くらいになると、僕らの時代は「MEN'S BIGI」などのデザイナーズブランドブームというのがくるんです。

— DCブランドってやつですね。

飛田 そういうのが欲しくて原宿に行くんですけど高校生には高くて。渋谷には今でいうマルキューの裏にバラックの古着屋さんがあったんですよ。

— へー。渋谷109の裏ですか。

飛田 高いと思っていたブランドが、使用感はあるけど、ラベルも全部英語で、半額や三分の一の値段で買えちゃうので、高校から古着にハマるんですよ。「赤富士」という竹下通りにあった古着屋もよく行ったんですけど、そこは古着と並行してヴィヴィアンウエストウッドのセデッショナリーズとかの本物も入れていて、高校生時代に通っては目を肥やしていきました。

— 周りの子たちよりも早かったんですね。

飛田 そうかもね。今なら何百万になっちゃうようなデッドストックのリーバイスが、ガラス張りの中にたくさん積まれていましたから。高額なビンテージを沢山見て雰囲気を知り、似たものを探したりして、勉強しましたね。なにより、変な格好をするのが楽しかったんですよね。でも父親は僕が着てる服にめちゃめちゃ抵抗があって、よくハサミで服切られました。

— えー! なんでですか?

飛田 高校時代、デュランデュランの腰が絞ってあるスペンサージャケットが流行ってたんですよ。それを古着屋で買って着ていたら、「これがダメなの分かってるよな?」って言われて、本当に切られちゃったんですよ。父親は仕事もお堅くて、とにかく真面目で。デザイン科のある高校に行きたいと言ったら、母親はいいんじゃない?と言ってくれたんですけど、うちは父が一番強いので、ダメと言われたらはいって言うしかなかったんですよ。

— なるほど。

飛田 今思えば、父親はエンターテイメント的なものに関しては非常に否定的でした。中学からバンドも始めるんですけど、バンドいいじゃないって言ってくれたのも母親なんですよ。父親はどうかと思うよっていう感じだったし。
 ただ、手を挙げられたことはほとんどなかった。とにかく喋らない人でした。埼玉の田舎から都内まで仕事に行っていたので、朝起きると「行ってきます」って先に家を出るし、夜も遅かったので、なかなか意見交換するシーンはなかったですね。

— 典型的な日本の父親ですね。

飛田 うん。あの時代のがんばっていた父ちゃんだったんだろうな。

四浪中に身につけたもの

— でも、そんなお父さんがよく美大への進学を許してくれましたね。

飛田 高校卒業の時に父親に美大へ行きたいと言ったら案の定ダメだと言われたので、その時初めて反抗したんです。勝手にしろ!と言われたので勝手にするよって言って。でもお金もないのに勝手にしようがないじゃないですか。母親が相当話し合ってくれたのか、東京芸大なら良いということになって。そこから四浪するんですけど(笑)。

— (笑)。

飛田 なんか矛盾してるなって思いながら。

— その話もすごいですよね。極端というか。

飛田 極端ですよ。許してもらってからは、本当にサポートはたくさんしてもらいましたよ。

— ファッションをやりたいっていう思いは、浪人時代もずっとあったんですか?

飛田 結局四浪している間はファッションを忘れるんですね。受験も絵の勉強も正直楽しかったんですけど、予備校の先生が芸大、武蔵美、多摩美など、みんなが憧れる学校の現役の学生だったので、ギャラリーでやっている個展や、おすすめの映画など、色々な情報をくれるんですよ。なのでデザインやアートを一番勉強したのが、浪人中だった気がします。予備校に行っているふりして随分街に行ったので、ファッション以外の色々なものも見聞きした時間でしたね。

— ちなみに浪人中の洋服は……?

飛田 メインは古着で、パンクみたいな音楽の要素が入っていましたね。まず、1番最初にのめり込んだのが一浪の時、モッズに入るんですよ。そういうショップが原宿に2軒ぐらいあって。イギリスから上下セットの出来上がってるスーツを唯一輸入しているお店があって、試着すると細すぎて。無理して履こうとしたら店員さんに嫌な顔されました(笑)。

— (笑)。

飛田 その時、リーバイスが出している、ステイプレスというノンデニムの少しフォーマルなラインが結構細身でもサイズが合って、それでモッズっぽい格好をしていましたね。結局それも古着。パンクスタイルもSCHOTTっぽいライダースを古着屋で買っていました。

— SCHOTTっぽい(笑)。

飛田 そうそう。いわゆるドクターマーチン的ブーツもパチモノが僕の時代にはあったので、そういうのも履いたり。王道のブランドを買いたくても買えなかったジレンマはずっとあったけど、あの頃はそう言うもので満足していました。大学入ってからは、あえてギャルソンシャツとヴィンテージを合わせたり、リメイクしたり、ボロボロのデニムに綺麗なシャツを合わせたりしていましたけど、基本的には古着が多かったかな。

大学で服飾が学べない日本

— 四浪して多摩美に入られて。

飛田 はい。最後の年に、多摩美だけ通ったんです。東京芸大は落ちて。その時点で、そういえば俺ファッションやりたかったんだって思い出すんですよ。だから多摩美のテキスタイル(染織科)でよかったって今は思っています。

— 染織をやってる学科は当時、多摩美だけだったんですね。

飛田 染織科を最初に始めたのは多摩美ですね。テキスタイルを現代的にも伝統工芸的にも網羅しているのは、先駆者的に多摩美で。ただ、正直ファッションの要素は全くなかったんですよね。

— あくまでテキスタイルで。

飛田 そう。浴衣を作るという勉強もあったし、ファッションスケッチは、デザイナーがよく描く絵を練習する授業があったんですけど、布いじってるのにファッションやりたいと言っている人は誰もいなかったですね。

— 基本的にはインテリアですよね。

飛田 そうそう。当時、美大にファッションがないのってなんでだろうってずっと思っていましたね。

— 今はあるんですか?

飛田 はい。多摩美の染織科の中でも、いくつかに部署を分けられています。僕らの時代はまだファッションを美大で勉強するのがあたりまえじゃなかっので。

— 日本でファッションデザインをやりたいとなると、大学で勉強をするよりも文化服装学院のような専門学校へ行きますもんね。

飛田 今は武蔵美にも、空間デザインの中にファッション科がありますし、芸大出身でファッションデザイナーやファッションディレクターの仕事をやっている若者も時々出会いますね。僕も東京造形大学と東北芸術工科大学でファッションを教えていました。

追い込まれてようやくミシンを購入

— で、ようやく大学に入ってからは染色を勉強されたんですね。

飛田 いやもう、バンドですよ(笑)。ビンテージロックが多かったんですけど。浪人中つるんでた連中の中で、バンドの経験のある奴らとやってみようかって。スタジオが安い深夜の時間に練習して、反省会と称してデニーズでビールを飲んで、部屋に戻ったら寝ちゃう。そんな生活をしていたから、先生にはこのままだとやばいぞと言われて(笑)。卒業はちゃんとできましたけど、学校よりバンドやバイト、あとはみんなで企画立てて外部でイベントやったりしていましたね。

— クラブイベントですか?

飛田 で、フライヤーを作るじゃないですか。そこに勝手に「spoken words project presents」って入れたんですよ。そんなのないのに。でも何かしら母体があるように見えたらかっこいいじゃないですか。

— それが「spoken words project」の始まりなんですか!

飛田 そう(笑)。怒られてもいいからって学校中に「spoken words project」プレゼンツのフライヤーを貼り出して。それもひとつのアート表現としてね。ある先生からは「最近学校で面白いことをやっている奴がいる」ってメッセージを読み解こうとしてくれたりして。

— 何かしらの意味があるはずだと!

飛田 何もないんだけど。先生深読みしすぎだよって思いながら(笑)。で、就職だってなっていくうちにバンドが元気なくなるんですよね。僕が勝手にポエトリーリーディングがやりたいってやりはじめたりして、ちょっとバンドの志向が分裂しはじめて。そういうことも理由で結局大学卒業と同時に解散しちゃうんですけど。

— 飛田さんは大学を4年で出られたんですよね。

飛田 そう。で、美大では一番の集大成として卒業制作あるんだけど、そこで「あ、俺洋服作りたかったんだ」って思い出して(笑)。慌てて親に相談して、ミシンを2台購入して。

— あっ、買ってなかったんだ!(笑)

飛田 買ってなかった(笑)。いきなり服作りが始まるんですよ。夏くらいだったかなあ。卒業制作のアイデア出しもコンテストになっているんですけど、僕それで1番を取っちゃったんですよ。その時にもう、「言葉に着せる服」ということを言っていて、ここに何かセリフが入っていたら、この服の印象って変わるよね、みたいな、言葉からイメージする洋服を作ってみましょうというプレゼンをして。いい評価もらったし、じゃあ今から作ろう、と思って。

— 買いたてのミシンで作るわけですね。

飛田 根が真面目なので、母親にまず文化服装学院の教科書を借りるんですね。そこで立体裁断だったり、型紙というのを勉強したら、それが楽しくなって、卒業制作で普通の服を作っちゃったんです。途中経過の審査で先生に見せたら、普通のブラウスじゃ卒業させられないって言われて(笑)。

— せっかくコンテストでトップだったのに(笑)。

飛田 結局うまい具合に折り合いをつけて卒業はするんですけど、そこからは独学でした。

— 実際の服作りは卒業してからなんですね。

飛田 卒業と同時に、美大受験の予備校で週に2、3回先生のバイトをしていました。空いた時間は全部制作に回して、予備校の先生をやりながら服作りというのが始まるんです。

※次回は10月14日更新予定

構成:二宮なゆみ

この連載について

spoken words project 飛田正浩とは何者か?

飛田正浩

cakesとファッションブランドspoken words projectのデザイナー飛田正浩さんが組んで、今月からある連載がスタートします! 始めるにあたって、飛田正浩とは何者なのか、spoken words projectというブラ...もっと読む

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tobbyspoken @cakes_news インタビュー1回目はこちらです。 https://t.co/hUihgw4VYW 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

consaba 飛田正浩「美大では一番の集大成として卒業制作あるんだけど、そこで「あ、俺洋服作りたかったんだ」って思い出して。慌てて親に相談して、ミシンを2台購入して。 」 (構成:二宮なゆみ) https://t.co/QkycUAzQbY 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

flotsambooks 面白い!!続きも楽しみ!!! 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

madokahattori そうなんですよ、日本の大学で服飾を学ぶとしたら文化女子大か多摩美のテキかムサビの空デしかなかった。  https://t.co/oYYi5s3Dwf 約2ヶ月前 replyretweetfavorite