過去に執着しない「諸行無常」の原則
ライブドアという会社を失って、未練はないか。
そう聞かれたら僕は「ない」と即答できる。たしかに命がけで育てていった会社だ。誰よりも深い愛着はある。しかし、未練はない。僕はすでに前を向いているからだ。
僕には人生で一度だけ、引きこもりになっていた時期がある。
2006年1月に逮捕され、保釈が認められたのが同年4月。そして東京地裁での初公判が同年9月のことだった。
この保釈から初公判までの約4ヶ月、ほとんど外に出ることがなかった。まず、保釈中の僕にはライブドア関係者との接触が禁止されていた。もしも接触し、それが露見してしまえば保釈金(僕の場合は3億円だった)は没取され、なおかつ保釈が取り消されて収監されることになってしまう。
とはいえ、僕はこの10年、生活のほぼすべてをライブドアに捧げてきた。しかもライブドア関係者は、膨大な数にのぼる。「ライブドア関係者に会うな」とは、僕にとって「友人・知人に会うな」と言われているに等しかった。
そこで保釈された直後、まずは自分の携帯電話番号とメールアドレスを変更した。さらに、電話帳に載っているライブドア関係者の連絡先もすべて削除した。一人ひとりの名前を消すたびに、もうこの人と連絡を取ることはないのだ、もう二度と会えないのだ、と覚悟を決めていった。
テレビをつけると、いまだ僕の話題で持ちきりだ。まだ公判も始まっていないとはいえ、当然僕は犯罪者として扱われている。テレビや新聞を見ることも嫌になる。電話が鳴ると、ライブドア関係者ではないのか、知人を装ったマスコミではないのかと不安になる。
さらに僕は、一連の騒動を経て、軽い対人恐怖症になっていた。
長い勾留生活のせいもあり、人の視線が怖くなっていたのだ。しかも困ったことに、僕はどうも目立ちやすい風貌をしているらしい。これは太っているときも痩せているときも同じで、いくら帽子やめがねで変装しても、すぐに「あっ、ホリエモンだ!」と気づかれてしまう。自宅の外には週刊誌の記者が待ち構えており、彼らはたとえば僕がコンビニに行っただけでも「ホリエモン、失意のコンビニ生活!」といった、悪意に満ちた記事を仕立て上げることができる。
ブログを更新するにも、なにを書けばいいのかわからない。東京を脱出しようにも、保釈からしばらくは1泊までの旅行しか許可されない。当局の目を過剰に意識して、なにがどこまで許されるのか、戦々恐々としていた。ほんとうに、生まれて初めて経験する引きこもり生活だった。
そんな僕にとって大きな救いとなってくれたのが、ライブドアとは関係なく仲良くしてくれた幾人かの友人、それから2005年の郵政選挙に出馬した際に広島で知り合った、ボランティアスタッフたちだ。
おそらく、僕が郵政選挙に出馬したとき、ほとんどの人は「また堀江が売名行為を働いている」とか「どこまで権力志向が強いんだ」といったネガティブな見方をしていたと思う。それでも僕の訴えに共鳴し、私利私欲を越えて「日本を変えましょう!」と立ち上がってくれたのが、彼らボランティアスタッフである。
真夏の選挙戦は相当ハードなものだった。
僕自身、少なく見積もっても10万人以上の有権者と握手したし、徹底したドブ板選挙を展開した。結果としては地元のドン、亀井静香氏に敗れてしまった。それでも、あの厳しい選挙戦を志ひとつで戦ってくれたボランティアスタッフの熱意には心底感動したし、ほんとうに感謝している。
そんな流れもあり、保釈された僕が再び動き出そうとしたとき、真っ先に声をかけたのが彼らだった。いまでは宇宙事業をはじめとするさまざまな分野で、あのときと同じ熱意を持って伴走してくれている。やはり、かけがえのない仲間である。
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