次郎長と金八が連れ立って矢部の平吉の賭場に遊びに行った。そこに居たのは武五郎、佐平、富五郎、千吉、長伝、乙松、みな本職の博奕打ちであった。金八は随分と負けた。けれどもそれは陰智機であった。平吉らはイカサマ賽を使って駒を集めていたのである。
これを次郎長が見破った。
金八は怒って、「カネを返せ」と喚く。
そうしたところ平吉が、
「申し訳ございません。すぐに返金の手続きをとらせていただきます。少々、お時間を頂戴できますでしょうか」
と言ったかというと、平吉もやくざだ、自分の盆にケチを付けられて黙っている訳にはいかないから、
「なにをっ」
と言って睨む。周りの奴も仲間だからこれに同調して、
「てめぇ、もう一回、言ってみやがれ」
となる。
そのうち、武州は嘉吉の乾分、武五郎は素早く立ち上がり、金八の胸倉を摑んで、これを殴ろうとした。
次郎長は身体は大きいが、こういうときは素早い。
さっ、と立ち上がると、武五郎の後に周り、右の手首をグイと摑んでねじ上げた。
「いててててて、なにしやがる。放せ」
「おう、放すとも」
そう言って次郎長は手を放して、ポーン、と突いた。
「とっととと」
と武五郎はのめる。
他の連中はこれを見て懐に手を入れた。
「おっと、待ちねぇ。懐に手ぇ入れたな。ってことは俺たちを斬るってのかい。よしねぇ、よしねぇ。こっちはなにも持ってねぇんだ。なにも持ってねぇ二人を六人で斬ったなんてみっともなくてしょうがねぇや。な」
言われて六人、決まりが悪いから懐のなかで握っていた手をいったん脇刀から放す、これを見た次郎長、六人の勢いを見て半泣きになっている金八を見て、
「金八、今日のところは帰ろう」
と言って金八を促して帰りかけた。
けれども六人はそれでは収まらない。
「待て」
「なんだ」
「賭場にケチを付けられて黙っちゃ居られない。これでも食らえっ」
と喝叫、脇刀が駄目でも拳固ならいいだろう、てんで、みなで寄ってたかって、金八をポカポカ殴った。
これには次郎長もついに怒って、
「人が穏やかに口をきいたというのになんだっ」
と喝叫、それへ割って入って、とうとう殴り合いになってしまった。
そして実はこれより少し前、六人のうちの一人、武州七の乾分富五郎、背ぃが低いから、回りから小富と呼ばれていた男と次郎長の間に揉め事があった。
どういうことかというと、次郎長は小富が胴を務める博奕場に遊びに行って負け、六十両の借金を負った。
こうした博奕場での借金を次郎長たちやくざは、星、と言った。つまりこの場合だと、「次郎長は小富に六十両の星があった。」と言ったのである。
やくざの仕事の半分はこの、星、の取り立てだったと言ってもよく、みなこの星の取り立てには命を懸けた。
小富もまた同様で、躍起になって取り立てた。もちろん次郎長だって、頬っ被りする心算はないのだが、このところ負け続きで懐具合が悪い、っていうので、なんとか工面して半分の三十両を返した。
それで次郎長は、当分は取り立てに来ないだろう、と思った。なぜというに、次郎長からすれば、「なにしろ、十両から首が飛ぶ世の中に三十両も渡したのだから」と思うからである。しかし小富からすればまったく逆で、「本当なら六十両もらえるところを三十両しかもらえなかった」と、どうしても思ってしまう。
それで三十両を受け取った翌日にはもう来て、
「残りの三十両を出せ。さあ、出せ。いま出せ」
と言ってこれには次郎長も向かっ腹を立てた。
「おい、小富、てめぇ、そりゃ阿漕だぜ。いくらなんでも昨日の今日だ。三十両って大金がそうやすやすとできてたまるかっ、てんだ。俺だっててめぇに星があったことがあったろう。あんときてめえは、『次郎長どん、いま手元にカネがねぇんだ。すまねぇ、来月まで待ってくんねぇ、来月にゃあ、必ずなんとかするから』と手ぇ合わせて頼みゃあがった。そんなとき俺がなんつった。『あ、いいってことよ』と言って待ってやった。てめぇそれを忘れやがったか」
「やかましいやいっ。てめぇは待ったかも知れねぇが、俺のカネを俺が取り立てるんだ。遅く取り立てようと早く取り立てようと俺の勝手だ。それになあ、次郎長、俺はもうその星はきっちりと返《けえ》したんだぜ。てめぇも言いてぇことがあるなら、まず星を返してから言ったらどうなんだ。おう、次郎長どんよ」
と言われみればその通りで、次郎長はそれ以上言い返すことができず、しょうがない、「じゃ、今日中に払ってやるから帰《けえ》って待ってろ」と言って小富を帰し、それから屋財家財を売り払うなどしてどうにか二十両を拵え、これを小富に届けさせた。しかし。
星は六十両。返したのは三十両と二十両で五十両。まだ十両足りない。
と言って、どうだろう、六十両の星のうちの、五十両を回収したのだから後は免除するか、それが無理なら支払を少し猶予してやる、くらいのことはしてもよいように思うが、強欲な小富は、そんなことはせず、数日後にまた来て、
「残りの星を払え」
と言った。
これには次郎長も困じ果てた。借りられるところからはみな借り、売れる物はみな売って、それでようやっと五十両を返したのである。その上さらに十両というのはどのように考えても難しい。これに至って次郎長はなんだか急に面倒くさくなり、そして思った。
「殺そうかな」
と。
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