ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラによるミケランジェロの肖像画(部分) 1545年頃 メトロポリタン美術館蔵
ヴァザーリいわく「神的な人!」
それにしても、アカデミア関係者がミケランジェロに対しておこなった「聖人」への格上げを、ミケランジェロ自身は望んでいたのでしょうか。この時代、伝記というものはその対象となる人物が没したあとに書かれるものなので、たいていの場合伝記記述が本人の意向に沿っているかどうかは永遠に謎です。
しかしミケランジェロは例外です。同時代人によるミケランジェロの伝記は、伝記の体裁をきちんともっているものだけでも、3バージョンが知られています。そのうち2つが彼の生前に書かれたもので、それぞれ1550年と1553年に出版されています。
1550年のものは、前述のヴァザーリによって書かれた『芸術家列伝』の大トリを飾る伝記です。ヴァザーリのミケランジェロ描写は神を称える筆致そのものです。例として、冒頭のところを読んでみましょう。
いとも恵み深き天の支配者たる神は、地上の芸術家たちの無益な労苦と実りのない孜々たる研鑽、そして真実から、光と闇よりもさらに遠ざかっている人間たちのあやふやな知識をごらんになられ、その多くの過ちから救い出してやろうとして、地上に一つの魂を送り出そうとされた。〔…〕かくてカゼンティーノで、宿命と幸運の星の下に、1474年、ひとりの子が生まれた。〔…〕彼はこの子をミケランジェロと名付けた。べつだん深い考えがあったわけではないが、天なる人に霊感を与えられたからである。恵み深い星の相により、ゼウスの館で、ヘルメスウェヌスを受け取るという彼の誕生のめぐりにうかがわれる通り、この子が普通人を越えて、天上的、神的な人であると考えようとしたのである。
この冒頭の引用だけでも、仰々しさが伝わると思います。ヴァザーリの記述によれば、神は天から地上の芸術が廃れているのを残念に思って、よき芸術を復活させるためにミケランジェロを派遣したというわけです。まさしく神が地上にキリストを遣わしたがごとく、芸術の救い主としてミケランジェロはあらわされます。
コンディヴィいわく「やんごとなき人!」
ヴァザーリの「ミケランジェロ伝」が出版されて3年後、もうひとつの「ミケランジェロ伝」が出版されました。こちらを執筆したのはアスカニオ・コンディヴィという、ミケランジェロの弟子として美術を学んだ人物です。
コンディヴィの制作した作品は知られていません。おそらく芸術家としてはあまり大成しなかったのでしょう。しかし、ミケランジェロの家に住み込んでいたことがわかっており、おそらく生活上のさまざまな雑事も手伝っていただろうことを考えると、師ミケランジェロの厚い信頼を得ていたものと思われます。
そのような環境のもと、コンディヴィの「ミケランジェロ伝」は、ミケランジェロ自身が語る半生を口述筆記するようなかたちで執筆されました。つまり、こちらの「ミケランジェロ伝」はミケランジェロの監修付きなわけです。ヴァザーリ版「ミケランジェロ伝」に比べて、ミケランジェロ本人から見る自身の姿を、より的確に反映しているはずです。
コンディヴィ版「ミケランジェロ伝」は、以下のような文言で幕を開けます。
類まれなる画家にして彫刻家ミケランジェロ・ブオナローティは、カノッサ伯の血筋の子孫だが、このカノッサ伯の家はレッジョ地方に由来し、その功績においても、皇帝の血につながる由緒正しさにおいても、高貴かつ輝かしい一族であった。
コンディヴィの語るミケランジェロは、神が遣わしたわけでもなければ、芸術の救い主でもありません。彼はただ高貴な一族の末裔として登場します。ただしその高貴さは半端なく、皇帝の血を引いているとまで豪語。もちろん、ここまで血筋を強調するのには、ちゃんと理由があります。
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