イラスト:澁谷玲子
ダッド・ボッド大活躍のロマンティック・コメディ
セス・ローゲンがかわいい。いま、かわいいという言葉はセス・ローゲンのためにあるんじゃないか。と言いたくなってしまうくらい、強力なラヴリーパワーの波動をあの髭もじゃ男から感じる。
最近は癒しと免疫力向上のために、(これまたかわいい)ジョン・ファヴローと(これまたかわいい)ロイ・チョイがホストを務めるネットフリックスの料理番組『ザ・シェフ・ショー~だから料理は楽しい!~』の、ローゲンがゲストの回を寝る前に何度も見てしまう。三人のおっさんたちがただ和気あいあいとしている様を浴びることのデトックスよ。この奇跡のような回が出来てしまったのは、「かわいいおっさんたちが仲良く料理を作っているだけの映像ください」と言ったひとが裏に存在するとしか思えない。言ったひと、ありがとうございます。
いや、もちろん以前から、その子グマみたいな愛らしい風貌と体型、ショボショボした喋り方のローゲンはキュートな存在として人気だったし、個人的にダッド・ボッド・アイコンのひとりとしても大注目していた。
けれどここに来て、ローゲンのキュート・パワーが大炸裂する代表作が誕生してしまったのである。多くのひとが彼の魅力に陥落してしまったとも聞く……ロマンティック・コメディ映画、『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』だ。
ヒーロー/ヒロインが逆転?
『ロング・ショット』は『プリティ・ウーマン』の男女逆転版とも言われている恋愛もの。一介のジャーナリストであるフレッド(ローゲン)が、かつて近所に住んでいた憧れのひとで現在は大統領候補となっている政治家シャーロットと再会し、ひょんなきっかけでいっしょに働くことになり、次第に惹かれ合っていく様がコミカルに描かれる。気骨はあるけれどもどうにも空回ってしまいがちなフレッドが、シャーロットにスピーチライターとして見初められていくという設定は、なるほど(欧米において)要職の女性が珍しくなくなった現代らしいものだと言えるかもしれない。
たしかにこんな素敵な大統領候補が登場したらみんな喜ぶよな……と思わずにいられないようなカッコ良すぎるシャーロットを演じるのは、いまハリウッドでもっとも輝いている人物と言っても過言ではない、シャーリーズ・セロン。
彼女のカッコよさは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のフュリオサ役での丸刈り姿がわかりやすいけれども、ほかにも最近では、産後うつ&ワンオペ育児で追いつめられる女性を増量して体現した『タリーと私の秘密の時間』、#metooの先駆けとなったTV局内でのセクハラ告発を描いた『スキャンダル』といった、フェミニズムを扱った映画の主演を務めている。また、セロンは制作会社デンバー・アンド・デリラ・プロダクションズの代表を務めており、(『マッドマックス』を除いた)これらの映画の制作も担当しているというハイパーな活躍ぶりだ。
だから、そんなセロン=シャーロットとローゲン=フレッドによる身分違いの恋は、たしかにこれまでのロマコメの伝統からすれば「男女逆転」で、現代のジェンダー意識の変化を感じさせるものだと言える。実際、ふたりが危機的状況に巻きこまれたときに「ヒーロー」として活躍するのはキャーキャー騒いで取り乱すフレッドではなく、冷静な対応で切り抜けていくシャーロットだ。
ただ、フレッドはシャーロットに助けられることをまったく負い目に感じていない様子。その直後に映画の見せ場となるキスシーンがあるのも、つまり女性のヒーロー的活躍に男性が心奪われるという構図になっていて、現代のロマコメとしてじつに気が利いている。
「逆転」ではなく、「自然」な関係性
だけど……、大変厚かましいことにシャーロットになりきって「こんなかわいい男と恋したいよね~」という気分でこの映画を観ていた僕は、これが「逆転」とは思えないのであった。逆プロポーズとか逆玉の輿とか、「逆」というときには「そもそも男女の役割は決まっているのだ」という前提があるように感じるが、シャーロットとフレッドに関しては、「逆」も何も、前提なんて関係なくこの関係性こそがふたりにとって居心地がいいように見える。
フレッドはうだつの上がらないジャーナリストだが、「男は恋人や妻よりも社会的地位が高くなくてはならない」というような「男のプライド」を持っていないため、スピーチライターとしてシャーロットの活躍を支えることで、ジャーナリストとしては空回っていた自らの生きがいを発見していく。そしてシャーロットのキャリアの正念場でこそ、自分の恥ずかしい姿を世に晒してまで、彼女の成功を後押しするのである。その健気さがたまらなくかわいいし……いや、これ、普通にいい男でしょ。
普段はゆるい恰好をしてシャーロットやそのアドバイザーに失笑されていたフレッドが、ダンスパーティでは正装で現れて見違えるなんて展開も、王道なのに最高にキュートだ。これも、社会的地位の高い男性が女性に衣装を用意してやるという図式の「逆」をやっているのだけれど、そんなことを忘れてしまうほど自然なものとして描かれる。ふたりは男女の社会的役割の前提と関係ないところでお互いを助け合うからこそ、素敵なカップルへとなっていくのだ。