マイホーム主義者をコケにする両津
寺井の不動産行脚を通じて描かれたのは、前回述べた通り、東京の土地がバカ高いということ、東京でマイホームを持つことの無理ゲー感、それに執着する“憐れさと惨めさ”──である。『こち亀』ははっきりと、「庶民がマイホームに夢を抱くことや、無理をして買うことはかっこ悪い」と言っている。
両津からすれば、不便な通勤という圧倒的不快と引き換えに「一国一城の主」という申し訳程度の安泰をどうしても手に入れたいという執着は、まったくもって粋ではない。あるいは、「宵越しの銭は持たない」を信条とする江戸っ子的な刹那主義、その日暮らしの態度にも反する。
いずれにせよ、寺井や部長のマイホーム志向は、極めて野暮で無粋な生き方の象徴として描かれていた。
78年3・4号「警察ガルタの巻」(8巻)では、両津が部長のマイホーム(当時は千葉県市川市)について「いちおう“いっこだて”だけどね…」「マイホーム主義の典型でな…」と、はなからバカにした態度を取っている。
79年15号「おおティータイムの巻」( 14巻)における両津の部長宅評はさらに辛辣を極め、行きの車中ですでに「なにしろえらい田舎だからな! とても人間の住めるとこじゃないとこに家がたってる…」「しかし家についても笑ってはいかんぞ! かれも精いっぱいがんばっているのだからな」と中川と麗子に言う。到着すると開口一番、こうまくしたてる。
「これがかれの半生にわたる努力と汗の結晶でできたマイホームだ! マイホーム主義者独特のムードが家にでてるだろ」
「あの小さなベランダに注目しなさい。あれがマイホーム主義のシンボルだ。かならずあれをつける」
「そして部屋をけずってでも庭をつくり庭園灯をおく。これもマイホーム主義者に多くみられる特徴である」
「この玄関も、見栄をはってりっぱなドアにしたのもマイホーム主義者の…」
おちょくりが止まらない。しかも、いちいちその通りだ。当時の小中学生男子に「マイホーム主義者」がいかに嘲笑の対象となりうるかを示した回だ。
83年42 号「スカイ・バンク強奪事件の巻」(37巻)では、テンプレ的に描かれた“ど田舎”にマイホームを新築した「課長」と呼ばれている男性が、会社の部下らしき来訪者にマイホームを自慢している。が、ラストは両津によって墜落させられたヘリコプターがマイホームを直撃し、無残にも破壊されるのだ。
“ど田舎”に20年越しで建てた、それほど豪邸でもない小ぶりのマイホームを部下にさんざん自慢する「課長」のいじらしさ。墜落してくるヘリに対して──部下や妻子は逃げ出しているのに──体を張ってマイホームを守ろうとする「課長」の憐れみ漂う姿は、ギャグとして回収するための装置であることを差し引いても、あまりにも現実のマイホーム主義者をコケにしすぎてはいないか。
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現実的に、一般大衆は“ど田舎”にしかマイホームを持てない。その現実は何度も何度も、繰り返し繰り返し、粘着的に作中でリフレインされる。
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