人はカネのために働くのか?
世間から「ヒルズ族」と呼ばれていたライブドア時代、分刻みのスケジュールで働く僕を見て、こんなことを言ってくる人がいた。
「もう一生かかっても使い切れないくらいのお金を手にしたんだから、リタイアしてのんびり暮らせばいいじゃないですか。それとも、まだお金がほしいんですか?」
当初は冗談だと受け流していたのだが、どうもそうじゃないらしい。取材記者から合コン相手の女の子まで、かなりの人が同じようなことを言ってくる。リタイアするだって? なぜそんな話をしているのか、僕にはまったく理解できなかった。
たしかに、年末ジャンボ宝くじの季節になると「宝くじで一等が当たったら、会社を辞めて南の島でのんびり暮らしたい」といった声を耳にする。いまのあなたも、同じような気持ちでいるかもしれない。
でも、どこかおかしいと思わないだろうか。
大金を手に入れたら、リタイアして南の島でのんびり遊んで暮らす。
要するにそれは、「カネさえあれば、仕事なんかいますぐ辞めたい」という話なのだし、裏を返すと「働く理由はカネ」ということなのだろう。……僕の信念とは正反対とも言える考えだ。
いまも昔も、僕はお金がほしくて働いているわけではない。自分個人の金銭的な欲望を満たすために働いているわけではない。そんな程度のモチベーションだったら、ここまで忙しく働けないだろう。食っていく程度のお金を稼ぐこと、衣食住に困らない程度のお金を稼ぐことは、さほどむずかしいことではないからだ。
では、僕にとっての仕事とはなんなのだろう?
目的がお金じゃないとしたら、なんのために働いているのだろう?
ここはぜひ、自分自身の問題として考えてほしい。
あなたにとっての仕事とはどんなもので、あなたはなんのために働いているのか。
もちろん、「メシを食うため」とか「家賃を払うため」は理由にならないし、そこで考えを止めてしまうのは、ただの思考停止だ。衣食住に事足りていながらも働く、その理由を考えてほしい。
たとえば、中学時代の新聞配達は、僕にとって完全に「カネのため」の仕事だった。
親に立て替えてもらったパソコン購入資金を返済する、ただそれだけのためにやった仕事だ。頭を渦巻くのは、あと何日続ければ完済できるのか、という計算ばかり。周りに新聞配達をやっているような友達は全然いない。
「お金持ちの家に生まれていれば、こんな苦労もせずにすんだのに」
「お金さえあれば働かなくてすむのに」
まさに、宝くじでの一攫千金を夢見る人々と同じような気持ちで、新聞配達をしていた。働くこととは「なにかを我慢すること」であり、お金とは「我慢と引き替えに受け取る対価」だった。
しかし大学生になり、インターネットに出会ってから、とくに自分の会社を起ち上げてからは「カネのため」という意識はきれいに消え去っていく。働くことが「我慢」でなくなり、お金に対する価値観も大きく変化していった。