五月下旬、この知らせが届いたが、副島は清国出張中で、大久保は帰国したばかりで事情に通じていないとのことで、太政官(正院)で審議することになった。
西郷、板垣、大隈、後藤、大木、江藤の各参議の間で激しい議論が始まった。
板垣は「居留民保護のために派兵すべし」と唱えたが、西郷は「まずは使節を派遣し、公理公道をもって談判すべし」と反論した。しかも西郷は「軍隊は無用。使節は烏帽子と直垂の礼装で行くべし」と唱え、最後に「おいが行きもす」と言った。
これに驚いた三条らは「副島の帰国を待とう」と結論を留保した。それを待つ間、西郷は板垣に「朝鮮側が使節を暴殺するだろうから、それで開戦の大義ができるはずだ」と書状に書いて協力を求めた。西郷は同じ論理で三条も取り込んだ。
大隈が陽気に言う。
「ということは、お二人は、私にも西郷さんの使節派遣を反対しないでほしいということですね」
江藤が答える。
「そうだ。そなたの弁舌で反対されては、三条さんも板垣さんも気持ちが揺らぐ」
「派兵には反対ですが、もちろん使節派遣には賛成ですよ」
江藤がため息をつく。
「そなたは戦が嫌いだから、多分そうだろうと思ったが、それを聞いて安心した」
「でも外務卿は副島さんですよ。使節が西郷さんに決まれば、また臍を曲げます」
「その心配は要らん」
江藤がにやりとする。
「西郷さんによると、大久保さんを参議にするので、同時に副島さんにも参議になってもらうとのことだ。しかも外務卿兼任でな」
——それなら文句は言わないだろうな。
さすが江藤は、大隈よりも西郷に近いだけあって西郷近辺の事情に通じている。
——だが江藤さんは、なぜ副島さんを使節に推さない。
江藤は佐賀藩閥の強化を唱えていた。この場は副島を推し、清国との外交同様、副島に功を取らせるべきと考えるのが自然だ。
「実は——」と後藤が言いにくそうに言う。
「私も板垣さんと語り合ったのだが、西郷さんを行かせることに賛成する」
「あれっ、お二人は派兵したいのでは」
「以前はそうだったが、西郷さんが殺されれば派兵の大義もできる上——」
後藤が言いにくそうに言う。
「薩摩閥は大久保さん一人になるだろう」
——そういうことか。
つまり江藤も後藤も自藩閥の強化よりも、西郷という大物を朝鮮人の手で殺させ、薩摩藩閥を弱めようというのだ。
「でも西郷さんを失うのは、日本の損失じゃないですか」
江藤が首を左右に振る。
「いや、西郷さん自身が死に場所を探しているんだ」
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