子どもがマレーシアに来たばかりのころ。「休み時間の揉めごとが、日本より少ないんだよね」ってよく言っていました。
当時の彼の分析では、日本だと授業中は静かに先生の話を聞いているスタイル。休み時間になると、エネルギーが余っているのか、喧嘩がよく始まったそう。
一方、インターナショナル・スクールでは、授業でみんな意見をいいまくる。休み時間には皆疲れてしまっていて、それ以外のときに、必要以上に自己主張する必要がないんじゃないかな、というんですね。
小学生でも「英国がEUを抜けるのは是か非か」みたいな問題を議論をしてました。
「お前はどう思うのか」「あなたはどうするのか」を朝から晩まで聞かれ続けると疲れるのだそうです。
そういえば、私も以前行っていたフィリピンの英語学校では、毎日、朝から晩までいろんなトピックで議論したり、エッセイを書いたりして、クタクタになりました。
「温暖化について、あなたの意見を言ってください」
「タバコとお酒、どちらが体に悪いと思いますか」
「戦争がなくならないのはなぜだと思いますか」
「Facebookはプライバシーを侵害していると思いますか」
「日本人は迷信深いと思いますか? 理由と根拠を述べなさい」
みたいにお題を出され、先生や仲間たちと議論の練習をするのです。
エッセイも同様で、「大卒資格の意義と必要性についてあなたの意見を述べなさい」などと課題を与えられます。小論文を、毎日何本も書いている感じでした。
私も日本の大学で多少は議論や小論文をやった記憶がありますが、その数が圧倒的に多いのです。ときには、議論の反対派と賛成派を入れ替えることもあります。
「議論の仕方」を学ぶとどうなるか
この練習をしていると、「論破すること」「相手を議論でやっつけること」に意味がないことに気づきました。論破しても、相手は納得せず、別の場面でやり返されるのがオチかもしれません。
むしろ、議論するには、相手との間に信頼関係があった方が良い結果が生まれます。
そして多くの議論には大抵「正解」がない。相手と意見が衝突したときにも、お互いの見方や立場を尊重することを学ぶのです。その代わり、良い議論をすると、理解が深まったような満足感があるのです。
インターナショナル・スクールでは、以前も書いたように、「批判的思考力」を重んじるところが増えています。なんでもかんでも批判するという意味ではなく、健全な議論の方法を身につけるということ。
何かを鵜呑みにするのではなく、答えがないことを前提に「そうかな?」と疑うのです。バイアスや前提条件を吟味し、一般化や楽な解決、極端な白黒思考に固執しないことが重要です。さらに感情的になることも厳しく戒められます。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。