「手ぶらはモテる」という諺がある。いま私が作った。過剰に持ち物が多いことを無粋とする暗黙のマナーは、古くから存在しているように思う。荷物の多い男よりは少ない男のほうが、女の目から見て好感度が高い。
とあるパーティーの会場で、このことに初めて気がついた。ホテルの広い宴会場を貸し切った立食形式の祝いの席で、ドレスコードはなく、盛装からTシャツまで、さまざまな人が集まっていた。その中に、大きなカバンを背負ったままうろついている男たちが散見された。判で押したように皆、よれよれのスーツ姿のサラリーマンで、はちきれんばかりにふくらんだ肩掛けのビジネスバッグを提げている。
どうしてクロークへ預けてこないのか? 他の招待客は携帯電話と名刺入れだけをジャケットにしのばせ、あるいは小さなクラッチバッグに貴重品を移し替えて、シャンデリアの下を身軽に回遊している。あれだけ大きなカバンを後生大事に提げているのだから、きっと肌身離さずにいる大層な理由があるのだろう。しかし、その理由はまったく他者の共感を呼ばない。ほんの2時間程度のパーティーの最中、カバンの中身を取り出して使用することはまずなかろうし、混雑する会場内で大きな荷物を振り回す姿はそれだけで煩わしい。非日常空間に日常のカバンをそのまま持ち込むこと自体にも見苦しさを感じる。本来ならば手ぶらであるべき場所に、なぜか手ぶらでいられない。荷物の多い男って、イヤぁねー。と思った。
ちなみにこのとき、開宴の挨拶ギリギリに駆けつけて間に合った私も、クロークに立ち寄る暇がなくパンパンにふくれた巨大なエディターズバッグを提げていた。中には読みかけの単行本が上下巻2冊、サブバッグには宅配便で送るつもりで梱包したB4サイズの新刊ゲラ。イヤぁねー、イヤぁよー、他人様のこと何も言えないじゃない。式次第に沿ってスピーチが進行するなか、自分の不格好さにいたたまれなくなり、ご歓談タイム開始と同時に慌ててクロークへ預けに走った。
荷物の多い女よりは少ない女のほうが、男の目に魅力的に映る……かどうかは知らない。だが少なくとも、彼ら男性陣のイケてなさの要因としてあの大きな荷物があったし、私の大きな荷物もまた、我が非モテ要因の一つであるなぁと、痛感した出来事だった。
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肥満体型の人間は、会社組織で出世できないのだという。己の生活習慣すら管理できない人間に、人の上に立って重要任務の管理をする資格はない、ということらしい。ビジネスの世界ではデブは無能と見做される。よほどの天才気質を除き、凡人は己の有能さを周囲に示すため、肉体をも鍛えなくてはならない。原始、でっぷりふくよかな体型は富や豊かさの象徴であり、簡単に死ななさそうな生命力や包容力の象徴であり、別の意味で異性へのよきアピールだったはずだ。けれど飽食の現代においては、ジャンキーな肥満体型は健康リスクへの意識の低さや、貧困問題とも結びついて忌避される。
考えなしに贅肉の鎧を纏う人々と同じように、とくに意味もなく、無駄に荷物の多い人間も、概して世間からの評価は低い。よほどの天才気質か、ゆるふわ愛され気質を除き、不特定多数の異性からの「モテ」とは程遠い存在である。「なぜかいつでもどこでも大荷物を提げている」「おそらくは部屋もモノであふれかえっている」「その原因を自己制御できていない」そんな人間は、怠惰でさもしいデブと同様、つねに無能で愚鈍なイメージがつきまとう。いや、私のことだが。