ナンシー関の警告力
ああ私ぼーっとしてた。気づかせてくれてありがとう。
批判という毒をあえてネットの海に流すなら、「みんな」を意識できるようになってからだ! と自分をしばしば戒めています。
中には「批判で注目を集める」というスタイルのご意見番もいますが、なかなか私のような素人が真似できることではありません。
批判で人気になれば、また批判を求められるようになり、なかなか大変そうです。
そうはいっても、「良くない」「面白くない」と思う物事に対して、なにか意見を言いたくなるときはありますよね。
みんなが同調している中に、「反対意見を放り込んでみたい」という天の邪鬼な欲求が生まれることもあるかもしれない。
でも、個人を否定したり、傷つけたりせずに、自分の“違和感”を表現する方法なんてあるんでしょうか。 そんなことを考えていたとき、この一文からヒントを見つけました。
〉武田鉄矢が人気者であると思うたび、私は日本という国が嫌になる。武田鉄矢を受け入れるというのが日本人の国民性だとするなら、私は日本人をやめたくなる。
ナンシー関さんの毒舌は、そこらの批判とは格が違う。
この文章のポイントは「私は武田鉄矢が嫌いだ」と主張しているわけではなく、「私は武田鉄矢を受け入れる国民性が嫌いだ」と主張しているところ。
ここだけ読むと、単なる悪口に見えてしまいそうですが、ナンシーさんの批評にはちゃんとした計算があります。