先日、Netflixの人気リアリティ番組「テラスハウス」絡みで悲痛な事件が起きました。
ワタシはテラハを毎週観ていました。去年7月、女性向け媒体、FRaU WEBのお声がけで、「テラスハウス恋愛学」という連載コラムをスタートさせることになったからです。
ときに感情移入し、ときに衝撃を受け、執筆時には客観的な視点と愛を忘れないようにしながら、自分なりに誠意を持ってテラハに向き合ってきました。
今回の件について、毎日考えています。昼は別のことを考えていても、寝る前にはまた考えてしまいます。……もう、これは記事として形にした方がいい。そう思えてきたので、自分なりに感じたこと、考えたことを綴っていこうと思います。
作り手の意図が入っていない番組なんて存在しない
台本や演出はあったのか。この点があちこちで議論になっています。事実は分かりませんが、まず、これだけは言いたい。
世の中に、作り手の意図が入っていない番組は存在しません。意図がない番組は視聴者の心をつかむつかまない以前に、プロダクトとして成り立たないからです。
意図が入っていない映像で視聴者が楽しめるなら、ライブカメラの映像を流せばいい。でも、定点カメラで延々映し出される多摩川の映像に感情を揺さぶられる人は稀です 。
あるいは、カメラを置いて、登場人物たちが映ったり会話を始めたりしたシーンだけを何十本、何百本も撮影し、それを時系列で放送したところで、視聴者は「……何これ?」と感じるでしょう。ヤマもなければオチもない、ただの素材。
だから作り手は、素材を作品にすべく、編集し構成します。物語の基本である起承転結を作ります。共感や緊張を与えながら、最後には爽快感や安心感や感動を与えるよう導きます。つまりカタルシスを与えようとするわけです。
ところが、そのカタルシスを爆発的なものにしたかったのか他がやらないことをやりたかったのか(事実は分かりません)、多くの視聴者が度肝を抜かれるシーンを、後味の悪い構成で全世界に配信してしまった。
テラハメンバーは自分を責めないでほしい
テラハを1話から観てきた人なら分かると思いますが、あのシーンは演技ではないでしょう。あれが演技なら、メンバー全員、超演技派俳優として活躍できると思います。
なぜリアリティショーが世界中の人を惹きつけるのか。それは、作り手に意図や演出があっても、その中で素の表情や言葉が引き出される瞬間があるから。その一瞬のリアルに、視聴者は胸を揺さぶられるからです。
それが悪い方向に作用してしまったのが、今回の事件。演技ではないからこそ、メンバーも視聴者も簡単にモヤモヤを消すことができなかったのだと思います。
そこから一部の人間によるSNSでの悪質な誹謗中傷が始まり、さらに、メンバー同士のすれ違い、コロナ禍のステイホーム生活による孤独、プロレスができないストレス、テラハに入った事情、SNSをやめられない事情、などなどが絡み、積み重なって、今回の事件に繋がった。ワタシはそう推察しています。
すれ違いについては、生きていれば誰もが経験すること(そのときはめちゃツライですが)。すぐ和解するケースもあれば、何十年後にやっと和解するケースもあります。いずれにせよ、ひとつも後悔がない人なんて、自分も含めていないはず。むしろ、そういう後悔を重ねて、学んでいくもの。だから、罪悪感や後悔の念に苛まれているメンバーには、自分を責めないでほしいです。
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