四
明治四年(1871)一月六日、新築成ったばかりの閑叟の永田町屋敷は、その真新しい檜の香りとは裏腹に、沈鬱な空気に包まれていた。
「こちらです」
久米の案内で閑叟の病臥する居室に案内された大隈は、やつれきった閑叟の顔を見て愕然とした。
「ご隠居様、大隈参議が挨拶に見えました」
久米の声に応じ、閑叟がゆっくりと首を回す。その顔も首も皺だらけで、とても五十八歳には見えない。
「大隈か。ちこう」
「はっ、ははあ」と応えた大隈が、閑叟の蒲団の近くまで膝行する。
その顔色は胃病持ち特有の土気色をしており、胃の病が極限まで悪化したことを示していた。
「ご隠居様、ご無沙汰いたしておりました」
大隈が最後に閑叟と会い、言葉を交わしたのは、天皇が永田町の新邸に閑叟を見舞った十一月五日になる。この時、大隈も付き従っていた。その時、閑叟は立ち話をするくらいの元気はあった。だがその後、病状が急速に悪化したと伝え聞いたので、誰もが正月の挨拶を遠慮していた。しかし正月も終わり、閑叟から親しくしていた者たちに会いたいとの知らせがあり、大隈も召致されたのだ。
「ここのところ静養していたが、いよいよ駄目らしいので、そなたを呼んだ。多忙のところすまなかったな」
「ご隠居様——」
大隈に続く言葉はなかった。
思えば幼くして父親を亡くした大隈にとって、畏れ多いことだが、閑叟は父のような存在だった。何か失敗を仕出かしても、閑叟が「まあ、よい」と言ってくれるので、自らの信じる道を突き進むことができた。それは、維新政府に出仕してからも変わらなかった。
その閑叟に死が迫っているのだ。大隈は大海に放り出されたような心細さに襲われた。
「かなり盛んにやっておるようだな」
「はい。やりすぎて顰蹙を買っております」
「それでこそ大隈だ。まるで、かつてのわしを見るようだな」
閑叟自身、無理を承知で鉄製大砲や蒸気船を内製してきた。それを完成させるまで、幾度となく壁にぶち当たったが、閑叟は決して挫けなかった。
常に閑叟は、「無理だ、駄目だは聞きたくない。やると言ったらやる。それだけだ」と言って技術屋たちを鼓舞してきた。
「この日本という国は、西洋に比べて大幅に後れを取っています。やりすぎるくらいでないと、とても追いつきません」
「それはそうだろう。だが皆も同じ考えとは限らん。ときには他人の考えに従うことも大切だ」
「しかしそれでは——」
「考えてもみろ。政治上の決断といっても、十のうち八はくだらぬことだ。つまり八を譲っても二を譲らなければ、そなたの思い通りになる」
「八を譲って二を譲らず、ですか」
「そうだ。それが一つ」
いつの間にか、閑叟の大隈への訓戒が始まっていた。
「二つ目は、くだらぬと思っても人の意見は最後まで傾聴し、ときには、それを褒め上げるのだ。すぐに相手を論破すれば、それを言った者に恥をかかせることになる。褒め上げてから『しかし——』とやればよい」
「ははあ、仰せの通りですな」
殿様生活しかしたことのない閑叟の方が、大隈より、よほど世故に長けている。
「三つめは、怒気を発して高らかに弁じるな」
「しかしそれが、私の売りですが」
「分かっておる。これまではそれでよかった。そなたも英気溢れる若者だったからな。だがこれからは違う。これからは大人の風を身に付けねばならぬ」
「大人の風ですか」
「そうだ。人は年を取る。年を取れば、それに見合った人格が必要になる。いつまでも青臭いままでは、周囲から軽蔑される」
「はあ、尤もです」
「四つ目は——」
「まだありますか」
「五つあるので、最後まで聞け」
閑叟が苦笑いを漏らす。
「他人に功を取らせよ」
「しかし、それでは——」
「他人に功を取らせれば、倍になって返ってくる」
「ああ、はい」
確かに大隈は政府の官僚でありながら、しばしば功名を意識することがあった。
「此度のことは、大西郷に任せろ」
「は、はい」
ここに病臥しながらも、閑叟は政局だけでなく大隈の気持ちまで洞察していた。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。