三
伊藤が帰った後、大隈が一人盃を上げていると、綾子が入ってきた。
「伊藤さんを門まで送ってきました。あなた様自らお送りしなくてよろしかったんですか」
「ああ、そんな気分になれなくてな」
「どうしたんですか」
「そなたに言っても分からぬ」
「では、結構です」
綾子が膳の上のものを片付け始める。
「すまなかった。実はな——」
大隈が顚末を語ってやった。
「ということは、あなた様がここまで牽引してきた廃藩の大業を、最後になって西郷さんに持っていかれるわけですね」
「そういうことだ。しかし戦国の昔ではない。われらは、功名を挙げるために政治をしているわけではない」
大隈が自嘲する。
「でも、何とも理不尽なことではありませんか」
綾子が口惜しげに言う。
「致し方ないことだ。だからといって大蔵大輔の地位を利用し、意地の悪いことをするつもりはない」
大隈は政府予算を握っているので、廃藩にあたっての諸経費に難色を示すことはできる。だが、それでは感情に負けて大局を見失うことになる。
「あなた様のことは分かっています。でも大政奉還の時も——」
「そうだったな。あれも鳶に油揚げをさらわれた」
あの時は鳥羽・伏見の戦いが勃発し、大政奉還自体が意味を成さなかったので、土佐藩の後藤に功を奪われた気はあまりしない。
——だが、今度ばかりは無念だな。
大隈は、自ら唱えてきた早期の廃藩を自らの主導で推し進めたかった。
「でも、それが逆によかったかもしれません」
「えっ、どうしてだ」
「あなた様が陣頭に立てば、廃藩に反対の士族の方々から、『維新の功がない者が何を言っている』という声が上がるでしょう。でも西郷さんが立てば、誰も文句を言えません」
それが岩倉や大久保の狙いなのは間違いない。
「まあ、それはそうだが、どうしても割り切れんのだ」
「その気持ちは分かります。でも人には、それぞれ役割というものがあります」
「役割、か」
——どちらかといえば、わしは実務家だ。政治家ではない。
自分の適性は、大隈にも十分に分かっている。
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