「法治国家では、契約書がすべてです。道義的に許されなくても、何ら罰を受けることはありません。つまり利率をどうしようと、公募金額をいくらにしようと、レイの勝手なのです」
ロバートソンが「契約書を見ろ」とばかりに前に押しやる。
息をのみつつ、大隈と伊藤が業務委託契約書を読んだが、確かに「利率を勝手に設定してはいけない」「公募金額を百万ポンドに設定する」とは書いていない。
「つまり『日本政府保証』と謳って投資家に安心させ、低い利率でも投資しようという気にさせるわけです。ところがレイは間に入るだけで、三パーセントも抜ける。これは笑いが止まらない。しかも公募金額の上限を決めていないので、そこも倍にしたわけです」
「何てことだ!」
外国商人の厳しさを知っているつもりの大隈だったが、ついレイの誠実な態度にだまされてしまった。
——否、だまされたわけではない。これが相手を出し抜いても自分がもうける、欧米の常識なのだ。
パークスが苦々しげに言う。
「私も小僧にだまされた」
ロバートソンが付け加える。
「レイはパークス公使の顔に泥を塗ったことになります」
パークスが口惜しげに言う。
「だが問い詰めたところで、契約書の盲点を突いただけで、何ら自分に落ち度はないと言い張るだろう」
大隈が肺腑を抉るような声で問う。
「どうしたらいいんでしょう」
パークスが椅子に戻ると言った。
「こうした相手をだますような方法を認めるわけにはいかない。われらは大英帝国だ」
大隈が何か言う前に、伊藤が冷静な声音で問うた。
「では、国家の命令として、レイに契約破棄を通告していただけますか」
「それはできない。たとえ盲点を突こうが、契約は契約だ。しかし、われらの外交方針も変わってきた」
「どう変わってきたのですか」
「これまでわれらは植民地を増やし、植民地から搾取することを目的としてきた。しかしそれではだめだ。中長期的に利益を上げるためには、植民地化よりも近代国家を育成し、自由貿易によって互いに恩恵を得た方がよいことに気づいたのだ」
パークスの発言は、イギリスで主張され始めた「小英国主義」なるもので、植民地から上がる利益よりも、近代国家を作り上げるのに手を貸す方が、将来的により多くの利益を得られると学者たちが主張し始めたことに起因する。横須賀造船所を日本に帰属させるために金を貸したのも、この主義に則ってのものだった。
伊藤が膝を打たんばかりに言う。
「つまり日本の近代化を助けていただけるということですね」
「そうだ。日本を富ませる。そうすれば、われらも富む」
ロバートソンが笑いながら言う。
「日本が富んでくれないと、われわれも金の借り手が見つかりませんからね」
しかし近代化は、国民の教育レベルが相対的に高くないと実現しないことから、近代化に成功したアジアの国家は日本だけとなった。
大隈が恐る恐る尋ねる。
「で、どうすればよろしいので」
ロバートソンが葉巻に火をつけながら言う。
「まずはレイとの契約を破棄することです」
「それができるのですか」
「むろんたいへんですが、できないこともありません」
「どうすればよいのですか」
「最も優秀な男をイギリスに送り、法廷闘争をすることが必要です」
「分かりました。私が行きます」
大隈の言に伊藤が口を挟む。
「待って下さい。大隈さんがそんなことをしている間に、鉄道計画が民間に漏れ、多くの資産家や実業家に土地を買い漁られます。われら二人は鉄道敷設計画に邁進すべきです」
「では、誰に行かせる」
「人材には心当たりがあります。それは後ほど——」
大隈がパークスとロバートソンに向き直る。
「レイとの契約は即刻破棄しますが、今から金を貸してくれる相手を探さねばなりません」
「そうかな」
パークスがにやりとする。
「この件で、われわれ二人は話し合った。本国にも連絡した。それで出した結論として、全権をオリエンタルバンクが肩代わりするというプランではどうだろう」
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