十二
「それにしても、でかい屋敷ですね」
門まで来た久米が口をあんぐりと開ける。
「元は三千石の旗本屋敷だ。五千坪はある。まあ、旗本だし、これくらいあっても、ばちは当たらないだろう」
「ばちが当たったから、追い出されたんじゃないんですか」
「ああ、そうか」
大隈が頭に手をやって大笑いする。
恐る恐る門をくぐった久米が、庭を見渡す。
「さすがに庭は雑草だらけだ」
「ああ、そこまでは手も回らんし、金も回らん」
「国家の財政を司る会計官副知事様でも、金はありませんか」
「わしが扱っているのは国家の金で、わしの金ではない。この家の改修費も相当かかった上、飲食費が馬鹿にならん。それゆえ商人に借金をせねばならなくなった」
「えっ、どうしてですか。だってこの家には大隈さんとご令室しか住んでいないんでしょう」
「誰でも、そう思うよな」
「もちろんです」
大隈が苦笑いを漏らしながら言う。
「家の中に入れば、その理由が分かる」
久米が玄関口で「お邪魔します」と言うと、奥から綾子が出てきた。
久米と綾子は初対面なので、通り一遍の挨拶を交わす。
綾子は丁寧にお辞儀をすると、「お酒の支度をします」と言って奥に引っ込んだ。
「さすが大隈さんだ」と呟きながら、久米が慣れない手つきで靴紐を解いている。
「何が、さすがなのだ」
「綾子さんは見目美しいだけでなく、気が利いていそうだ」
久米がにやりとする。
「ああ、わしなどの許に、よくぞ嫁に来てくれたもんだ」
「新しい嫁さんには来てもらい、由利さんは追い出せて、万々歳ですね」
「おい、聞き捨てならないことを言うな。別に会計掛から由利さんを追い出したわけではない。『どうするのか』と問うても答を持っておらんから、その代わりに答を作ってやった。由利さんはそれを読み、黙って会計掛の執務所を後にし、二度と戻ってこなかったのだ」
久米が呆れたように首を左右に振った。
「やはり大隈さんは酷い」
久米の言葉に大隈が反論する。
「何が酷いものか。明治政府が諸外国の食い物にされずに一本立ちするまで、誰かの立場を慮ったり、上の意思を忖度したりしている暇はない」
「それは尤もですが、人には誇りというものがあります」
「知ったことか」とうそぶくと、逆に大隈が問うた。
「わしの方より、そっちの方はどうだ」
長い廊下を歩きながら、大隈が問う。
「ご隠居様のお体は思わしくないですね」
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