こうした江藤の実績が買われ、江藤の佐賀藩政への復帰が推し進められた。江藤は就任早々から藩政の抜本的改革を目指し、まず藩財政の健全化を図り始めた。とくに伊万里焼の大量生産体制の確立による海外市場の開発で即座に成果を出し始めた。また組織階層を簡略化し、医療や社会福祉といった民生面でも辣腕を振るった。
ちなみにこの頃、大木喬任は東京府知事に任じられ、大名と家臣団が国元に退去した煽りを食らい、経済活動が立ち行かなくなった東京の立て直しに従事していた。大木は窮民の授産政策の一環として、大名や旗本の屋敷を壊して茶畑や桑畑を作らせ、当座の食料を確保しようとした。尤も東京が急速な復興を遂げたため、これらの窮民政策は瞬く間に終わるのだが。
閑叟以下、佐賀藩の面々がそれぞれの道を歩み始めていたこの頃、大隈は東京で新たな生活を始めようとしていた。
一月下旬、その日の仕事が午前で一段落したので、午後になってから、大隈は改築中の築地の新居に顔を出した。
門前で大工たちが働く姿を眺めていると、一人の妙齢の婦人が近づいてきた。しかもその婦人は大隈の前で立ち止まると、「あの、こちらが大隈様の御屋敷でしょうか」と聞いてきた。
「は、はい。そうです」
大隈としては珍しく、多少うろたえながら返事をした。
「かつては戸川様の御屋敷だったのですが、随分と寂れてしまったんですね」
「ということは、この屋敷にご縁があったお方ですか」
「ええ、まあ」
女性が複雑な顔つきで言う。
「まさか、この屋敷に住んでいたのですか」
「いいえ、この御屋敷のご一家が父の上役で、何度か遊びに来たことがあるんです」
「ということは、あなたは旗本のご息女ですか」
「はい。あなた様は、この御屋敷に住んでいた方々がどこに行ったのかご存じですか」
女性が恥ずかしげに問う。その時、その見目麗しい女性の目に青あざがあるのに気づいた。唇には裂傷の跡もあり、誰かに暴力を振るわれたのは歴然だった。
だが個人的なことなので、大隈はそれに気づかないふりをして答えた。
「この屋敷に住んでいた一家がどこに行ったのかは、私にも分からないんですよ」
「そうでしたか。私と同い年くらいの娘さんがいたのですが——」
「その娘さんに御用なのですね」
「いいえ。ここに住んでいた戸川様のご一家に用があるのではなく、ここで働く大工棟梁の柏木貨一郎に弁当を届けに来たんです」
「あっ、そういうことですか」
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。