傘を貸してくれた、くうちゃんママ
Kangalさんによる写真ACからの写真
その人に出会ったのは、子どもたちが保育園に入ってひと月ほど経った頃。
ちょうど2年前で、長女は年長、次女は年少のクラスに入った。
夕方5時過ぎに迎えに行って、帰り支度をさせて外に出たところ、大雨が降っていた。
家を出るときには曇りだったので傘を持ってこなかった私は、保育園の玄関先で途方に暮れた。
通り雨なら止むまで待つか……と空を見上げるが、雨脚は強くなる一方。
子どもたちはすぐに焦れて、「パパー、早く帰ろうよー」と手を引っ張ってくる。
仕方ない、走って帰ろうと玄関のドアを押したときだった。
「あの……よかったら使います?」
後ろから声をかけてきたのは、何度か見かけたことのあるママさんだった。
水滴の一面についたビニール傘を、こちらに差し出している。
「歩きですよね? うち車やし」
「……いいんですか? 助かります。ありがとうございます」
ママさんは連れていた女の子を急かしながら、車のところまで走っていった。
「さっき傘貸してくれたお母さんの子、誰ちゃんやったっけ?」
「くうちゃんやで、きつね組の」
私たちは3人で1本の傘に入り、大雨のなか家に帰った。
きつね組は年中のクラス名だ。
忘れないうちに、「くうちゃん」とスマホにメモった。
シングルファーザーが保護者の輪のなかに入る難しさ
翌日から毎日、私は送迎時にビニール傘を持ち歩き、くうちゃんママに返す機会を窺った。
数週間後にようやく帰りの時間が一緒になり、傘を返した。
それいらい、私はその時間帯を狙って迎えに行くようになり、くうちゃんママと話すようになった。
たまご組の頃からくうちゃんを預けて5年目になるママは、保育園や地域の行事に詳しく、右も左もわからない私にあれこれと教えてくれた。
日々の持ち物のこと、先生のキャラ、1年の流れ……いつの間にか私も、心のどこかで頼るようになっていた。
というのも、20年近く暮らしていた東京から離れて引っ越したばかりの京都には、友達も知り合いもほとんどいなかったので、私も子どもたちもとても心細かったから。
ようやく入れた保育園でも、他の子どもたちは何年も通っている場合が多く、送迎などで顔をあわせる保護者たちの間にはすでに人間関係ができあがっているようだった。
しかも、見かけるのはほとんどママさんばかり。
シングルファーザーの私がその輪のなかに入っていくのは至難のワザに思えた。
そんななか、自然な態度で接してくれる、くうちゃんママは天使のようだった。
生まれて初めてシングルマザーと会話をした日
Kangalさんによる写真ACからの写真
ある日曜日、朝から私は子どもたちとバスに乗って、少し遠くの公園へ遊びにいった。
おにぎりと水筒だけ持っていき、コンビニで唐揚げを買って食べてから、大きな遊具や池のある公園で子どもたちと走り回って遊んだ。
日がかなり高くなった頃、他にも遊んでいた何組かの親子のうちのひと組がこちらに近づいてきた。
笑顔でうちの子どもたちに手を振っているのは、くうちゃんママ!!
——何して遊んでたん? てんとう虫捕まえたんやー、かわいいね!
と話しかけられて、子どもたちも恥ずかしそうな笑顔になった。
子どもたちとくうちゃんは、すぐに一緒に遊びはじめる。
鬼ごっこをしたり、3人でくっついて滑り台を滑ったり。
少し離れたところでその様子を見ながら、私はくうちゃんママと話をした。
「ちょっと前に東京から京都に越してきて、ひとりで子育てしてるんです」
「そうなんですか。私もちょっと前に離婚して、ひとりなんですよ」
シングルマザーの女性と会話をしたのは、京都に来てから、いや、生まれて初めてだった。
くうちゃんママの打ち明け話
——仕事終わって保育園迎えに行って、帰ってからご飯作ってお風呂入れて寝かしつけて……毎日必死ですよ。イライラしてつい、怒ってまうこともあるし。でも子どもの寝顔見たらそれも吹き飛んで、ごめんなーって思います。
——手の込んだ料理作らなくても、喜んでくれるんですよね。こないだすごく疲れてて、お茶漬けしか作れなかったんですよ、晩ごはん。でも美味しい美味しいって食べてくれて。
——元夫は、離婚しても子どもの父親だから会わせてます。でも会った日は、帰ってきたら泣いてるんです。ぎゅーってして、ママは大好きやで、一緒にいたいで、って泣き止むまで待ってます。
くうちゃんママの話はどれもこれも、他人事とは思えなかった。
それまで感じてはいたけれど言葉にできなかったことを、言葉にしてもらっているような安心感を私は感じた。
話している合間合間にこちらにやってくる子どもたちに、くうちゃんママは話しかけ、おにぎりやお菓子を食べさせ、抱っこして、一緒に遊んでくれた。
日が暮れて、私たちは別々の方向に帰った。
その夜、子どもたちを寝かしつけた後に、私はくうちゃんママのLINEアカウントを探した。保育園の連絡網用グルーブLINEのメンバーのなかに、くうちゃんママはいるはずだった。
ところが、ほとんどのママたちは本名ではなくおしゃれなハンドルネームで登録していて、探索は困難をきわめた。
そもそも、くうちゃんママの本名すら知らないのだ。
初めてママ友ができた!?
運動会や夏祭りの連絡事項をさかのぼり、数十人のアイコン画像をチェックしてようやく、くうちゃんらしき女の子の後ろ姿を使用しているアカウントを突き止めた。
当該アカウントの発言内容から、五分五分の確率でくうちゃんママだと判断した私は、イチかバチかでメッセージを送ってみた。
——今日はありがとうございました。とても助かりました。
これなら誤爆しても問題はないし、感謝の気持ちも伝えられている。
大満足でLINEを閉じようとしたところで、返信が返ってきた。
——こちらこそ、ありがうございました(*^_^*)とっても楽しかったです。パパさんを見てて、娘さんたちにすごく愛されてるんだなと思いました。普段から保育園でそう思ってましたし、今日も公園で(以下略)。
とても丁寧で、思いの溢れる内容だった。
お互いひとりで子育てをしている者どうしにしかわからない、気遣いや優しさが感じられた。
またもや私は、大きな安心感に包まれた。
特別な《ママ友》ができた。
まだまだ話したいことがたくさんある。
子どもたちも、これからたくさん遊ばせることができたらいいな。
その日の午後の思い出と、くうちゃんママの優しいLINEに気が緩んだ私は、すかさず返信をした。
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