- [POINT 1]安い賃金で我慢して働くから、労働単価が上がらない
- [POINT 2]働かなくても生きられるベーシックインカムが検討されている
- [POINT 3]スマホでどんな情報を狩りに行くのか、その考え方を突き詰めよう
額に汗して働かなくても食べていける
イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリの書いた『サピエンス全史』(河出書房新社)を読んだことはあるだろうか。世界的なベストセラーになった本だから知っている人もいるだろう。僕もたびたび著書でその言葉を引用している。
同書は、人類の文明を俯瞰して歴史的事実から検証した、壮大な物語だ。
とりわけ僕は、「人間は穀物に家畜化された」といった表現に注目した。
そして、そこから非常に納得がいく論考が展開されている。
旧石器時代、人類は狩猟採集民族であり、人々は狩りの毎日を送っていた。
だが、農耕の技術を得たことで状況は変わった。作物が育つ畑を守るため、狩りのための移動をやめて、畑を管理し続けなくてはいけなくなった。
やがて人間はより大きな集団で生活するようになり、決まった土地で生きていくことを強いられた。生きるためには仕方のないことだった。
結果として、暮らしていく場所や役目を選ぶことの「自由」を失った。狩猟採集民族だった頃の刺激的で多様な日々も失ってしまったことだろう。
ハラリはその人類の様変わりを、「穀物に家畜化された」と説いている。
だが、産業革命以降、機械による穀物生産の自動化が進み、集団で働かなくても、食べ物が人間の元に届く仕組みができあがった。
狩猟採集の文化を捨てて、農耕に縛られていた頃の不自由さに、人間はもう我慢しなくてよくなったはずだ。
だが、それにもかかわらず、「仕事に文句を言いながらでも、気が進まない集団に属してでも、懸命に働くべき」という理不尽な常識が社会に残っている。
これはなぜなのだろう?
額に汗して働かなくても、食べていける―。
これは本当のことなのに、農耕で培われた人間の固定観念がそれを認めようとしない。勤勉に働かなければ食べていけない、と人々が無批判に考えてしまうのは、変わることを拒否する人間の本能がつくり出した“常識”のせいだ。
「食べていくため、安い賃金でも雇ってもらって我慢しなければ」
こうした誤った常識がなくならないから、労働単価は上がらないし、仕事の量も減らない。そして困窮が増していく。
賃金が安い仕事に満足できなければ、辞めていいのだ。
そうした人間が増えれば、雇う側は賃金を上げて募集せざるを得なくなる。
仕事を辞めている間は、スマホを使って、メルカリやAirbnbなどのC to Cのビジネスでお金を稼いでいれば、当面は困らない。
食べるためには、集団の中で個性を殺して働かなくてはいけない……。
そんな旧時代の固定観念は、軽々と捨ててしまおう。
スマホはそうしたあなたの生活を的確にサポートしてくれるはずだ。
大きな話から入ってしまったが、これが人類の真実なのである。
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