六
まだ丸山に行くには早い時間なので、大隈は林からもらった文書類に目を通すことにした。
そこには、イギリス人医師が検視した結果が詳細に書かれていた。
一人はロバート・フォードという火夫で、左の脇下から胸部にかけて刀傷があった。その傷口から、腹這いになっているところを斬りつけられたらしい。
——左の鎖骨は切断され、右の鎖骨も切れ掛かっている。さらに右の首にある大動脈、喉笛、食道を切断した後、脊柱で止まるか。こいつは刃こぼれどころか、帽子折れしたかもしれんな。
帽子折れとは刀の切っ先部分が折れることで、地面に横たわる者を斬った時以外になりにくいので、武士にとって恥辱となる。
もう一人はジョン・ハッチングスという船大工で、右肩から刃が入って喉笛の手前で止まっていた。三角筋と鎖骨が切断され、上腕骨の一部も破砕されていた。
——まずフォードから斬りつけ、続いてハッチングスという順だな。フォードは即死だが、ハッチングスは苦しみながら死んだはずだ。
フォードを斬ることで刃こぼれした刀は、ハッチングスを斬る時には、威力を半減させていたらしい。
——首に刃を叩きつけても、喉笛さえ切断できなかったのか。
それでハッチングスは這って逃げようとしたのだろう。背後からめったやたらに斬りつけたらしい。だが致命傷には至らず、ハッチングスは苦しみながら出血多量で死んだはずだ。
大隈は立ち上がり、下手人の手順をまねてみた。そこには武士の矜持など微塵もなく、外国人に対する嫌悪と憎悪だけがあった。
——では、下手人は複数なのか。いや、これは一人の犯行だ。
複数なら、ハッチングスも刃こぼれしていない刀で斬られたはずだ。しかも武士が複数いたら、寝ている人間を嬲り殺しにするようなことはしない。
——待てよ。
大隈はあることに気づいた。
林と一緒に引田屋に行くと、藤花が大歓迎してくれた。
「酒と飯は後だ。まず皆を集めてくれないか」
藤花は怪訝な顔をしながらも主人に告げ、開店前で多忙な女たちを集めてくれた。
「皆、聞いてくれ。昨年のことだが、おかしな客は来なかったか」
「こんなところに来るような客は、みんなおかしいよ」
一人の言葉に、女たちが沸く。
「その通りだ。わしも含めて女狂いだ」
大隈の言葉に、女たちが再び沸いた。
「では、もっと詳しく問おう。例えば——、突然笑い出したり、いや、これは酔客でもいるな。例えば、何かぶつぶつ言っている奴はいなかったか」
女たちが左右の者と話し始めた。そのかまびすしい声は、まるで小鳥のようだ。
しばらくして、太った女に背を押されるようにして若い女が前に出てきた。
その若い女は小刻みに体を震わせ、大隈に視線を合わせられない。
「何か心当たりがあるんだったら、遠慮せずに申せ」
大隈が優しい声音で問う。
「お客様に、そんな人がいました」
「どんな奴だ」
「年の頃は四十代で、こちらから話し掛けても上の空で、何かぶつぶつ言っていました」
「よし、分かった。ここに残ってくれ。ほかにはどうだ」
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