一
慶応四年(一八六八)の正月が明けた。九月八日に明治元年と改元されるまで、この年は慶応四年になる。
「京で戦が始まっただと!」
その知らせを佐賀の自邸で聞いた大隈は、髪の毛が逆立つのを感じた。
伝えに来た久米邦武が言う。
「間違いありません。すでに早飛脚が着き、それを知らされた重臣の方々が城に駆けつけています」
一月三日、「討薩表」を掲げて大坂から京を目指した幕府軍は、鳥羽・伏見付近で薩摩藩軍を中心とした新政府軍と衝突し、惨敗を喫した。大坂目指して落ちていく幕府軍を追って大坂城に迫った新政府軍だったが、将軍の慶喜が会津藩主の松平容保らと開陽丸で江戸に向かったことで、大坂城に無血入城する。
「慶喜公は、どうして開戦などしたんだ!」
たとえ辞官納地を迫られたとて、徳川慶勝、松平春嶽、伊達宗城、山内容堂ら慶喜与党の大名衆がいるので、政治力を駆使すればどうにでもなった。少なくとも佐賀にいる大隈には、そう思えた。だが慶喜は軍事力によって事態の打開を図ろうとした。
「そこには、いろいろ事情があるようです」
「いろいろ事情があろうが、このままでは日本は江戸と京に二分され、地獄のような内戦が続く」
両陣営が軍事衝突すれば、泥沼のような内戦が何年も続くというのが、この頃の共通認識だった。
「丈一郎、行くぞ!」
顎に手を当てて考え込んでいた大隈が、突然立ち上がる。
「待って下さい。行くと言ってもどこに行くんですか!」
「京に決まっている」
階段を駆け下りた大隈に、久米の声が追ってくる。
「今は独断で動く場合ではありません。皆がご老公の下で一糸乱れぬ動きを見せない限り、佐賀藩も朝敵とされます」
草鞋をつっかけようとしていた大隈の動きが止まる。
確かに佐賀藩以外、両陣営の抑止力となり得る軍事力を有する藩はない。
框に腰掛けた大隈が久米に言う。
「お前も、たまにはいいことを言う。だがわしは志士だ。藩などという枠組みに、いつまでも囚われているわけにはいかない」
「待って下さい。もう志士の時代は終わったんです」
「えっ、何だと」
大隈が啞然とする。
「突然、志士の時代に終わりが来たんです」
大隈は呆然とした。これまでは志士として国事に奔走することこそ、この国に生きる者の義務だと思ってきた。だが志士という稼業がなくなってしまったとしたら、何をしていいのか分からない。
「では、われらは何をやる」
「それは——」
久米にも答えようがない。
「この国はどうなるんだ」
大隈が肩を落とす。
「どうなるもこうなるも、まずは内戦が始まるでしょうね」
「われらも戦うのか」
「新政府軍に参加しないことには、朝敵にされます」
「それは困る」
「困るも何も、孤立すれば袋叩きに遭うのが、この世の常です」
「では、われらもいち早く新政府に与することを伝えねばなるまい」
「それは、もう重役の方々がやっているはずです」
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