10年勤めた会社を辞めて、作家になることを決めた私。
一人で立って歩くことに、漠然とした不安がある。
そんなわけで、漠然とした悩みを、幡野広志さんに聞いてもらった。
誰も傷つけない言葉なんて存在しない
「私がエッセイを書くことで、傷つけてしまう人がいるんです。気にしないようにしようとは思うんですけど、ふとした時に、このままで良いのかなと不安になっちゃいます」
『弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった』という記事を書いた時のことだ。
たいへんな反響があった記事で、嬉しい感想をいっぱいもらった。
でも、どんなに内容がよくても、誰も傷つけない言葉など存在しない。
私のもとに、2人の読者から、訴えのメールが届いた。
『はっきり言って、岸田さんは恵まれている。
自分には、障害のある家族がいるが、ひどい苦労をしている。
岸田さんのように、障害のある家族を愛せる人ばかりではない。
岸田さんの記事を読んだ人が
「障害のある家族って、こんなに幸せで、楽しいのが当たり前なんだ!」
って思い込んでしまうと、自分たちは肩身が狭くなる。 必要な福祉のサービスを減らされるかもしれない。』
大まかに、こういう内容だった。
私は、記事で「障害者はこうあるべき」と主張したかったわけではない。
ただ、大好きな家族の愛しさを、自慢するつもりでお裾分けしたかったのだ。
庭で採れたキュウリが美味くて、ついでに味噌も作って近所に配るようなノリだった。
でも、私が書くことで、誰かが傷つくんだ、とビックリした。
それは本意ではない。でも、どうしたら良いかわからなかった。
「それは妬みだね」
幡野さんが言った。
妬み。
そうか、これは妬みなのか。
でも、妬みという言葉を使うのに、ちょっと抵抗があった。
私はその人に妬まれる存在だよ、とは言えなかった。
「例えば僕だったらね、『ガンになりました』って公表した時は、かわいそうだね、大変だねって、声をかけてくれる人がいた。でもその中には、僕と境遇が似ていて、仲間意識を持って、共感する人もいるんだよね」
「共感してくれていたけど、その感情は変わっちゃうんですか?」
「自分と同じ不幸な人だと思っていたら、突然、自分とはまったく違う活躍をしたり、幸せに見えたりすると、そういう存在を見ること自体が辛くなっちゃうんだろうね」
なるほど。なんとなく、わかるような気がする。
小学生の時、足が速いだけでめちゃくちゃモテる、ワタルくんがいた。
私も例にもれず、ワタルくんが好きだった。 でも、私は、教室の隅で、数人の喪女と延々にアニメキャラを崇めたてるミーティング(「高貴なる漆黒のお茶会」と呼んでいた)をしていた女だ。
ワタルくんが、クラスでも目立つカワイイ女子に持っていかれるなら、「まあそうだよね」と諦めがついた。
しかし、ワタルくんと付き合ったのが、高貴なる漆黒のお茶会のメンバーの一人だった時、私は、言いようのない嫉妬にかられた。
「あんたが選ばれて、なんで私が!」と、むせび泣いた。嫌な女である。
勢いで例を出してしまったが、あまりになんとも言えない例だった。
こんなひどい次元の話ではないだろうが、きっと私にメールを送った人は、最初は私のことを、仲間だと思って見てくれていたのかもしれない。
「でも、岸田さんの記事を読んで辛くなる人より、助かる人の声も聞いた方が良いよね」
傷つく人もいれば、助かる人もいる。
全員にとって都合の良い言葉を書くなんて無理だから、それなら、私は、助かる人のために書き続けた方が良いのかもしれない。
そして、私の言葉で傷ついた人も、私では力になれなかったけど、他の誰かが、救いになるかもしれない。
出会いがあるように、祈ることしか、私にはできないんだろうな。
好きも嫌いも、同じくらい気にしないでいよう
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