第2回 漢字が書けないことが誇らしいと思えた出来事
もし今子どもに戻れるとしてもトレーニングはしない。人生をやり直せるとして、この障害がない人生と今の人生だったら、今のほうを選ぶと思うと言う山本さほさん。そう思うようになったのは、漫画家になってからだと言います。
千葉リョウコ(以下、千葉) 山本さんがトレーニングをしないと言えるのは、ナツと同じく重症度がそこまで高くないからという面ももちろんあると思うんですけど、それでも、社会に出てからもいろいろ苦労されてきたわけじゃないですか。どうして今の人生のほうを選ぶと言えるんですか?
山本さほ(以下、山本) 字が書けなくて「いいこと」って今までなかったんですけど、漫画家になってからは受け止め方が変わりました。漫画にも描いたんですけど、この話をするたびに、尊敬する先生方からも「おれもおれも」「わたしもわたしも」って言われることが多くて、今まで漢字が書けないって言わなかっただけで、そういう方は多いんだなと思ったんです。
千葉 そういえば、私も『うちの子は字が書けない』を出した時に、漫画家の友達何人かに私もそうだよって言われて驚きました。
山本 ね、けっこう多いんですよね! そうなると、なんかうれしくなってきて「もしや私は選ばれし者!?」みたいな……(笑)
たとえば「左利きのひとに天才が多い」とか聞くと、天才じゃなくても左利きだったらちょっとうれしいじゃないですか。そういう感じで、尊敬する漫画家の先生たちと同じっていうのが、すごくうれしくて、漫画家になるために生まれてきたんじゃないかぐらいに思えて。そうしたら、30年ぐらい漢字が書けなくて嫌な思いしてきたのが、全部ふきとぶぐらいで。
こうやって漫画にできたのも、ちょっと誇らしいぐらいにまで感じ方が変わってたからなんですよ。
千葉 すごい! そんな風に思えるんですね!!
山本さんのその前向きさは、どこで培われたものなのか気になります。学校の先生には、100回同じ字を書かされたりと、今考えるとひどい対応をされたこともあったわけじゃないですか。
大人になったら書けるだろうと楽観視していた。
山本 私は母から「勉強しなさい」とかもあんまり言われたことがないし、漢字が書けないこともバレてないんですけど……。
千葉 バレてないって…(笑)。
『きょうも厄日です』では漢字が覚えられないからカンニングしていたと描いていましたね。前の席の椅子の裏にカンニングペーパーを貼り付けて、上履きに鏡をつけてその鏡を読み取るというのがもう…おもしろくて……!(笑)
山本 カンニングはめちゃくちゃしてましたね。でもその方法は失敗でした。反転しちゃうから全然読み取れなくて!(笑)
あとはふつうに前の席の椅子に貼り付けたり、当時ナイキのリストバンドが流行っていたので、その下にびっしり漢字を書いた細い紙を巻いたりしてました。これは漫画には書いてないんですけど、よくやっていたのは、教室の中の掲示物を見ることですね。私、視力がとってもいいから、壁に貼ってある掲示物の字が見えるんですよ。学級通信とかのプリントの中からテスト問題の漢字を探して写してました。
千葉 その発想がすごい~!!
(山本さほ「きょうも厄日です」より)
山本 漢字が多いから、歴史も苦手でしたね。「豊臣秀吉」の「ひで」が書けない、「とよ」も怪しい…みたいな状態なので、テストではなるべく文字をちっちゃくちっちゃく書いて提出するようにしてました。そしたら、文字の内側がぐちゃぐちゃっとなって、なんとなく正しく書けているように見えるんですよ。歴史の先生はおじいちゃんだったので、それでマルをもらえていました(笑)。
千葉 高校受験ではどうでしたか?
山本 とにかく漢字が書けないだけで国語は得意だったので、そんなに問題にはなりませんでした。受験の時点では、漢字に関してはもうあきらめていましたね。小学校の時にノートにびっしり漢字同じ漢字を書いても覚えられなかったという経験をして以来、勉強していませんでした。
千葉 そのあと美大の受験もされたんですよね?
山本 美大受験は英語・国語で100点・100点、デッサンで200点の合計400点で判断されるんですけど、学科試験がまったくできませんでしたね。絵は頑張ってたんですけど…。2年浪人して…もうそれ以上は頑張れなかったですね。
千葉 国語と英語の2教科で、漢字と英単語なしで合格点数を上回るのは……そうとう大変なことですよね…!!
山本 そういう意味では、もし発達性読み書き障害だと早くにわかっていたら、最初から学科試験のない絵の専門学校に行くという選択肢も出てきていたと思うので、早くに知れていたらよかったですね。
千葉 2年浪人して大学を諦めていて、それでも悲観的になっていないのはどうしてでしょうか。
山本 美大へ行けなかったコンプレックスはありましたが、字のせいだと思っていなかったし、字に関してはすごく楽観的に、大人になったら書けるだろうって思ってたんですよね。お母さんが書けてるから、きっと私も大人になったら書けるようになってるんだろうと。20歳になって、25歳になって、「あれ?小学校の時から変わってない」って気が付いて……(笑)。
それでもフリーターの時はそんなに字が書けないことを意識しなかったんですよ。
(山本さほ「きょうも厄日です」より)
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